月別アーカイブ: 2012年2月

落葉やら枝やら載せたままの屋根 薮柑子 (泰三)

  子供がおたふく風邪にかかり、そのため句会に出られなくて淋しい思いをしている泰三です。皆さんはいかがお過ごしですか。

 季題は、落葉。台風の後だろうか、落葉やら枝やらが、屋根の上に乗ったままになっている。落葉やら枝やらと言うぶっきらぼうな表現が、騒然としたこの句の景色にぴったりだ。

 この句はただ散らかっている屋根を写生しただけ、「もの」だけの句である。作者の主観が垣間見られるのは、「載せたまま」という中七であろう。もちろん、落葉やら枝やらを屋根が載せたわけではないのだが、こういわれてみると、もの言わぬ屋根に人格があるようで面白い。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第3回 (平成16年12月10日 席題 鰤・紙漉)

黒マフラー跨ぎ人過ぐ銀座かな

この句、面白い句ですね。「マフラー」が季題です。高田風人子という作者に、「マフラーや銀座新宿人違う」という句があります。まあ、それは昭和二十年代の銀座と新宿の違いでしょうね。今はそれほどの差があるかどうかわかりません。ただ、黒マフラーというものの持っている、あるシックな気分と銀座。そして皆跨いでいく。拾って、落としましたよとは、誰も言わないという、一つの銀座というものの様子が出ているなと思いました。

 

下足札持ちて座敷へ三の酉

一の酉、二の酉、三の酉で、今年は三の酉までございました。勿論、酉の市の帰りに流れるのは、いい人は浅草へ、わるい人は吉原へということになるんです。この人はよい人で、浅草へ流れたわけですね。米久だとか、どこかわかりませんが、そういう大きな、印半纏を着た下足番がいるような、そんな所に、「まあ、久々ね。」と、米久だと太鼓がどんどんと鳴って、上がっていく。というような、寒いところを来た。でも、店に入った、くつろいだ気持ちが出ていて、よろしかろうと思います。

 

冬木立遠き景色も招き入れ

この句は、採るか採らないか悩んだ末に採ったんですね。この句、とても奥深い句で、「招き入れ」というところに、実にうまい景への心の傾きが出ていると思います。ただ、ちょっとわかりにくいところもあるんですね。冬木立に透けてくるんだけれども、冬木立の隣った分に遠い景色を招き入れるともとれるし、自分の家の窓の景として、冬木立が透けたために、窓の景として招き入れることが出来たともとれる。そこのところが、若干、焦点が絞り切れていないところがあるんです。ただ、景を「招き入れ」るという表現には、ほとほと感心をしたわけです。

 

葉牡丹のひしめき合へる花壇かな

これもなかなかまっとうな句で、花壇がちょっと傾斜しているような気がして、面白いなと思いました。

 

短日やけふの仕事をまた延ばし

ただでさえ日が短いのにまたこの仕事を延ばしちゃった。ということで、よくわかる。師走とは言わないけれど、気分は師走であるということですね。

石積みの上にぽつかり刈田かな 矢沢六平(2012年2月号)

季題は「刈田」。稲刈りの済んだばかりの田である。暫くすると穭が生い出、やがては「冬田」となる。「石積み」ということは棚田になっているのであろう。夏場、稲の丈が揃ってからは毎日、一定の嵩のある田の面であった。それが「稲」を刈り取ってしまうと、あっけらかんと、頼りなげな空間が広がるばかりとなってしまう。作者は棚田に沿った畦道を下の方からゆっく登っていったのである。そしてある場所にさしかかると、何日か前までとは違う空間、「あった物がないという空間」が目に入ってきたのだ。「ぽっかり」という状況を見出した軽い驚きが一句になっている。毎日田んぼの中で暮らしているからこそ、得られた新鮮な「驚き」であろう。(本井英)

雑詠(2012年2月号)

石積みの上にぽつかり刈田かな	矢沢六平
落し水立枯草を押し分けて
解体や裸の稲架となればすぐ
夕暮を案山子担ひて帰りけり

菊花展の菊首ねつこ支へられ 渡邉美保 グローブの様な生姜を供へあり 阿久津稜子 無花果をもがんとすればごわと葉や 天明さえ パドックの馬の歩様(ホヨウ)も秋日和 冨田いづみ