花鳥諷詠心得帖」カテゴリーアーカイブ

花鳥諷詠心得帖39 三、表現のいろいろ-14- 「切字(四段動詞の終止形と連体形)」

四段動詞の終止形と連体形が同型という話し。
少し「国文法」を思い出していただこう。 用言(動詞・形容詞・形容動詞)の活用形は、未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形の六種。 動詞の活用の種類は四段活用・上一段・上二段・下一段・下二段・ラ変・ナ変・サ変・カ変の九種。
さてその中で四段活用・上一・下一は終止形と連体形が同じ形だ。 即ち「咲く」という四段動詞では「言い切り(終止形)」の「花、咲く」と連体修飾の「咲く花」が同型なのだ。 上一では「海を見る」と「見る人」。下一では「玉を蹴る」と「蹴る玉」。  これは例えばラ変のように「山、あり」の終止形と「ある品々」のように歴然たる形の違いを示さない ということだ。
こうした紛らわしさは散文ではそれほど不自由では無いが、韻文では少々の不具合を招来する。
 早苗とる水うらうらと笠のうち 虚子
この句の場合「とる」は四段活用の動詞。 終止形は「とる」、連体形も「とる」。 従って「早苗とる」で切れて、「水うらうら」が別のこととして表現されたのか、「早苗とる水」 と連体修飾が行われて、その「水」の様子を描写しているのか判然とはしない。 言い換えればそこに「切れ」があるのか、無いのか。俳句の解釈としては重要な部分だ。
では以下の例は切れるか、切れないか。 なお殆ど四段活用であるのは圧倒的に四段の語数が多いからで上一は「見る」ほか十数語、 下一は「蹴る」一語であるからである。
橋裏を皆打ち仰ぐ涼舟    虚子
たまるに任せ落つるに任す屋根落葉 々
朝寒の老を追ひぬく朝な朝な 々
両の掌にすくひてこぼす蝌蚪の水 々
七盛の墓包み降る椎の露 々
皆降りて北見富士見る旅の秋 々
これら六句どれも連体修飾、つまり「連体形」にも見えてきてしまうが、「朝寒」の句ばかりは 下五が「朝な朝な」と、品詞としては「副詞」になるので連体修飾は成立せず、従って「追ひぬく」は終止形。 「切れている」ことになる。「屋根落葉」、「蝌蚪の水」、「椎の露」はどうやら連体修飾が成立、 従って中七での「切れ」は無い。
最後まで迷うのが「涼舟」と「旅の秋」。 どちらも「皆」という主語が明確に打ち出されているので「仰ぐ」、「見る」は終止形と見るのが無難か。 つまり「涼舟」「旅の秋」はともに一句全体を包む「世界」として下五に据えられていて、 中七では小さく「切れている」とすべきところなのであろう。 こう考え巡ってくると、冒頭の「早苗とる水」は連体修飾ということに落ち着きそうである。 四段活用の終止形と連体形、気になると気になる。

花鳥諷詠心得帖38 三、表現のいろいろ-13- 「 切字(用言の終止形)」

いくつかの「切れ」を検証してきたが、用言の「終止形」も当然「切れ」を表す。

霜降れば霜を楯とす法の城 虚子
は「す」というサ変動詞の終止形ですっきり切れているし、
我心或時軽し罌粟の花 虚子
は形容詞の終止形「軽し」で切れる。

こうした「終止形」の切れは『五百句』中に動詞、六十二例。形容詞、二十三例。
数量的には「や」・「かな」に次ぐ数の多さで、切れの定番とさえ言える。
「や」・「かな」・「けり」のように目に見えやすい形はしていないが、「切れる・切れない」という観点からは
存外重要だし、現実の推敲場面などでは連用形、連体形といった選択肢もあり、微妙な問題だ。

例えば前掲の、「法の城」の場合、
霜降れば霜を楯とし法の城
という形も表現的には成立する。
しかし、その場合は、「霜が降っているからして、その霜を楯として、法の城を」、「守らんとす」の
「守らんとす」が省略されたものとして一句は表現されている。
原句では「霜が降っているからして」、「我は霜を楯とする」、「この法の城を守るために」となる。
どちらも成立するものの、流石に「霜を楯とす」のシャープな「切れ」は、「法の城」を視覚的にも屹立させて
見事である。

同様の中七が動詞終止形で切れて、下五が名詞あるいは名詞句となるパターンは少なくない。
船に乗れば陸情けあり暮の秋   虚子
目つむれば若き我あり春の宵   々
ほつかりと梢に日あり霜の朝   々
栞して山家集あり西行忌   々
土佐日記懐にあり散る桜   々
飛騨の生れ名はとうといふほととぎす 々
倏忽に時は過ぎ行く秋の雨 々
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿 々
白雲のほとおこり消ゆ花の雨 々
奈良茶飯出来るに間あり藤の花 々

ところで、これらを見て面白いことに気付かれた方もあるだろう。
十句中七句が「あり」「をり」の、所謂「ら変動詞」であることだ。
それに九句目の「消ゆ」を加えた八例は、動詞の終止形と連体形が異なる形をしている。
つまり、「終止形」が際だって、はっきり「切れる」のだ。
残りの「飛騨」と「倏忽」は内容から終止形でなくてはならないが、四段動詞などは
実は終止形と連体形が同型であるために、「切れ」ているのか、「切れ」ていないのか
判然しない場合が少なくない。その辺りを次回は考えて見よう。

花鳥諷詠心得帖37 三、表現のいろいろ-12- 「切字(き)」

前回は「けり」でけりを付けたが、今回は「き」。

「けり」と同様過去の助動詞だが、「けり」は間接体験であるのに対して「き」は直接体験であることは
既に述べた。
『五百句』中には六句登場するが、いずれも連体形の「し」の形である。
間道の藤多き辺に出でたりし 虚子
山のかひに砧の月を見出せし 々
さしくれし春雨傘を受取りし 々
百官の衣更へにし奈良の朝 々
行人の落花の風を顧みし 々
夏草に黄色き魚を釣り上げし 々

連体形というのは当然ながら体言(つまり名詞)を修飾する形。

三句目「さしくれし」は直接「春雨傘」を修飾している。
「春雨傘」それはどんな「春雨傘」かと言うと、「(誰かが)さしかけてくれた」「春雨傘」であって何物でもない、
という構造だ。
その中での「き」の働きは、「さしかけてくれる」という現在形ではなくて、「さしかけてくれた」と過去の
直接体験としているところにある。

四句目の「衣更へにし」の「し」も「奈良の朝」を連体修飾している。
すっかり「衣更」を了えて南庭に居並ぶ「百官」の姿が過去のものとして、きちっと表されている。

ところが四句目以外の句末の「し」には若干の解説が必要かもしれない。
散文とも違うので厳密には言えないのではあるが、本来句末は「終止形」で終わる。
ただし「係り結び」のように特殊な場合は連体形や已然形で終わることもあるが、
それには「係りの助詞」が必要だ。
では「し」は誤りか。
結論を言えば「こと」という体言が省略されていると考えるのが具合がいいのだろう。

一句目で言うなら、
ある目的地に向かって歩いて行くのに、途中からう ろ覚えの近道に入ってみた。
随分と狭いところもあったが、急に前が開けて「本道」に出たところ、そこは 以前から知っていた、あの、
「藤の多い」あたりであったことよ。
となる。つまり「出でたりし」は「出たことよ」となり、「出た」という直接体験の直叙より、それ以前からの
「出来事」全体をまとめて表現したことになる。
そのあたりは「出でたりき」と比較してみると良くわかる。
しかも終止形で終わらないことの効果は「係り結び」のそれと同等だ。

二句目以降も、「見出したことよ」、「受け取ったことよ」、「顧みたことよ」、「釣り上げたことよ」となる。
特に「釣り上げし」などそれ以前から「何が釣れるのか」と秘かに興味を持って見ていた
作者の心持ちが出ていて、「し」ならではの感が深い。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖36 三、表現のいろいろ-11- 「切字(けり)」

本題に入る前に白状一つ。

前々回だかに「や」の話をした序でに自分の句に「や」の少ない言い訳を書いて置いた。
ところが今回の「近詠」二十句、なんと「や」が七句も登場してしまった。
出句全体のの三十パーセント以上である。
近時「桜山より」執筆の影響で知らず知らず「切字」の使用頻度が上がっていたのであろうか。
なんとも不思議な気分でいる。

さて今回の切字は「けり」。古文では「詠嘆の助動詞」として盛んに使われている。
同じ助動詞の「き」が「直接体験の過去」と言われるのに対して「間接体験の過去」などとも呼ばれる。
古来「や」「かな」に次いで代表的な切字とされており、一件落着の折りに「けりが付いた」と言うのは
この切字の「けり」を念頭に置いての言い回しだ。

『五百句』に登場する虚子の「けり」は総数三十カ所。
時代的にもほぼ均等に出現する。
桐一葉日当りながら落ちにけり 虚子
蚰蜒を打てば屑々になりにけり 々
夕影は流るる藻にも濃かりけり 々
雑炊に非力ながらも笑ひけり 々
など有名な句が多いのであるが、三十例中二十八までが句末に位置しているのであるが、
二句だけ中七が「けり」で切れているケースがある。
夏痩の身をつとめけり婦人会 虚子
僧遠く一葉しにけり甃 々
どちらも明治三十九年の作であるのも偶然か、必然か。

「夏痩」の句、「婦人会夏痩の身をつとめけり」でも一句にはなるが、これでは「婦人会とて」といった
若干辛い意味合いが消えてしまう。
中七を「けり」で大きく「切って」あるために下五の「婦人会」に「とて」の気分が漂うのだろう。
また「つとめける」として「婦人会」を連体修飾する語法もあろうが、「けり」の詠嘆の気分が削がれてしまう。
微妙なバランスで成功した句なのだ。

一方「僧遠く」の句はやや疑問が残る。
まず一句の景が浮かびにくくないか。寺の境内に、長く甃が伸びているのであろう。
遠くの方に「僧」の姿が見える。そして作者の近くに「桐一葉」がゆらゆらと落ちて来たのであろう。
「作者」は無理に描き出さなくてもよい。カメラのレンズがあるだけでもいいのだが。
それにしても「けり」で切った勢いを「甃」が受け切れていない。

この句前掲の「日当たりながら」と同日の作だが、もう一句、
門を入れば一葉しにけり高山寺 虚子
もその日の作としてある。
そして此方は判り易い。
「高山寺」に「けり」の切れを支えて全体を包み込む大きさがあるのだ。
句末以外で「けり」で切る事の難しさ、「や」や「かな」とは違うらしい。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖35 三、表現のいろいろ-10- 「切字(かな)」

前回までの「や」に引き続いて、今回は「かな」。

俗に俳句の事を「やかな」と呼ぶほどに代表的な切字である。

虚子の『五百句』にも切字の代表として常に現れ続けており、
「や」の例に従って明治・大正・昭和の頻出度を比較して見ると左の如くである。
明治期、三一句、二四パーセント
大正期、三七句、二三パーセント
昭和期、三五句、一七パーセント
前回の「や」に比べて「かな」が多用されていることは一目瞭然だが、三つの時代を比較すると、
矢張り明治期が多く、昭和期が少ない。

「や」の場合は上五についたり、中七についたり、その他の場所にも現れたが、「かな」は圧倒的に下五、
即ち句末に現れる。例外は一句、
よりそひて静かなるかなかきつばた 虚子
だけである。

ところで「かな」がつく、ということは間違いなくそこに表現の中心があるということで、
花鳥諷詠の基本から考えれば季題に「かな」がつくケースが多い筈。
そこで『五百句』の実際に当たってみると、そうは簡単にいかないことが判ってくる。

明治期・大正期・昭和期の「かな」についてその出現度数は、それぞれ「三一、三七、三五」であったが、
そのうち季題以外の言葉に「かな」のつく場合が、それぞれ「一六、一五、一九」であった
。このことは例えば昭和期の場合で見ると全部で三五個あった「かな」のうち、季題についたもの一六個、
季題以外の言葉についたもの一九個となり、漠然とではあるが昭和期の方に表現の多様性が見られる
という結果になった。

そこで面白いことが見えて来たのは「かな」のついた、季題以外の言葉に若干の傾き、或いは「好み」が
みられることである。例えば、
裏山に藤波かかるお寺かな 虚子
明易き第一峰のお寺かな 々
師僧遷化芭蕉玉巻く御寺かな 々
虚子は「お寺」が好きなのだ。
席題を得て、さまざまに詩想を練ると、景は自ずから「お寺」に収まってゆく。

また、
薔薇呉れて聖書かしたる女かな 虚子
コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな 々
風鈴の音に住まひをる女かな 々
「お寺」と同じく、じっと季題を脳裏に描くと、さまざまの女性像が登場する、
「女」が好きなのだ、と言っては語弊がある。

草摘に出し万葉の男かな 虚子
もある。人間が好きなのだ。