花鳥諷詠心得帖35 三、表現のいろいろ-10- 「切字(かな)」

前回までの「や」に引き続いて、今回は「かな」。

俗に俳句の事を「やかな」と呼ぶほどに代表的な切字である。

虚子の『五百句』にも切字の代表として常に現れ続けており、
「や」の例に従って明治・大正・昭和の頻出度を比較して見ると左の如くである。
明治期、三一句、二四パーセント
大正期、三七句、二三パーセント
昭和期、三五句、一七パーセント
前回の「や」に比べて「かな」が多用されていることは一目瞭然だが、三つの時代を比較すると、
矢張り明治期が多く、昭和期が少ない。

「や」の場合は上五についたり、中七についたり、その他の場所にも現れたが、「かな」は圧倒的に下五、
即ち句末に現れる。例外は一句、
よりそひて静かなるかなかきつばた 虚子
だけである。

ところで「かな」がつく、ということは間違いなくそこに表現の中心があるということで、
花鳥諷詠の基本から考えれば季題に「かな」がつくケースが多い筈。
そこで『五百句』の実際に当たってみると、そうは簡単にいかないことが判ってくる。

明治期・大正期・昭和期の「かな」についてその出現度数は、それぞれ「三一、三七、三五」であったが、
そのうち季題以外の言葉に「かな」のつく場合が、それぞれ「一六、一五、一九」であった
。このことは例えば昭和期の場合で見ると全部で三五個あった「かな」のうち、季題についたもの一六個、
季題以外の言葉についたもの一九個となり、漠然とではあるが昭和期の方に表現の多様性が見られる
という結果になった。

そこで面白いことが見えて来たのは「かな」のついた、季題以外の言葉に若干の傾き、或いは「好み」が
みられることである。例えば、
裏山に藤波かかるお寺かな 虚子
明易き第一峰のお寺かな 々
師僧遷化芭蕉玉巻く御寺かな 々
虚子は「お寺」が好きなのだ。
席題を得て、さまざまに詩想を練ると、景は自ずから「お寺」に収まってゆく。

また、
薔薇呉れて聖書かしたる女かな 虚子
コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな 々
風鈴の音に住まひをる女かな 々
「お寺」と同じく、じっと季題を脳裏に描くと、さまざまの女性像が登場する、
「女」が好きなのだ、と言っては語弊がある。

草摘に出し万葉の男かな 虚子
もある。人間が好きなのだ。