「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.9」 原昇平『アスパラガス』~逃げない男~
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「夏潮第零句集シリーズ」の第2巻第9号は、原昇平さんの『アスパラガス』。
原昇平さんは昭和五十三年埼玉県生まれ。慶応義塾志木高校の授業で本井英氏の授業を受講、俳句の道に誘われそれ以来本井英に師事。噂によると、先輩の原昌平氏と同音異字の名前と言うことで強く勧誘を受けたとも言われる。大学では、慶大俳句の代表を務められ、個性的な先輩、同輩、後輩をしっかりと統率し会を運営されてきた。
「夏潮」創刊以来、出版業務での業務知識を活用して頂き編集部の要としてご尽力いただいている。少しでも接したことのある人であれば、氏の誠実で、謙虚で、そして任された仕事は100%のクオリティで成し遂げる意志の強さを認めざるを得ない。
そう、昇平さんは一見の腰の低さと優しさと共に、決して逃げない強い心を持っていらっしゃるのである。そのような、原さんの性格はこの100句にも現れている。己の主観に素直に、季題を通じて何事かを、決して奇を衒うわけではなく、沈着冷静に五七五の詩形を通じて表現されているのだと思う。
これからも、そんな昇平さんはご自分で御自分のペースを勘案しつつ、着実に御自分の俳句を積み重ねていくことだと思う。
嘘つけば嘘の数だけ蛇苺 昇平
→季題は「蛇苺」。昇平さんにとっては珍しく観念が前面に出た句である。この「蛇苺」は名前こそ恐ろしいが、小さくて粒粒している実。社会人として暮していく中で、止むに止まれず嘘をつくことは多々あり、その嘘に嘘を重ねなければならない苦しさは誰もが体験しているであろう。沈着冷静で誠実で逃げることの出来ない昇平さんは、その苦みを蛇苺に託し表現した。蛇苺をかむとぷちっと赤い汁が飛び散り、服が汚れてしまったことも多々ある。
その時の御自分の主観が、写生を通じ季題「蛇苺」とピッタシ重なったときに出来た功句。
休講の屋上におり雲の峰 昇平
→季題は「雲の峰」。学生時代の回想の句であろうか。学生時代、高校、大学問わず休講と言うのは、何とも言えぬ開放感を伴ったものであった。筆者も昇平さんと同じ高校大学に通学していたので、その経験から下記の通り類推する。
その学校に少なからずある休講。その機会に校外に出て一日をそのまま校外実習に当てるものもをするもの少なくなかった。その後の時間に授業がある限りその義務を果たすべきと考える昇平さんは、そのような人のことはさておきリフレッシュするために屋上に上ったのである。校舎の屋上へ上る階段には物が置かれており薄暗く、秘密めいたものがあった。その階段を上った先の屋上には大きな雲の峰があった。そこで10-15分リフレッシュし、ご自分の次の授業の準備のみならず、校外実習に出て帰らない同窓生のために工作をする昇平さんの姿が想像される。
季題「雲の峰」が効果的に現在から回想へと読者を誘導してくれている。
真白なる皿に残りし梨の水 昇平
→季題は「梨」。掲句は確か昇平さんが「夏潮」で初巻頭を飾られた時の句だと認識している。
残っている梨の水と白い皿。眼前のものだけを描くことで、それまでの食べている光景を全て省略することに成功している。私は若い夫婦の休みの日の朝食の光景を想像した。「梨」という豊潤な果物から溢れ出た水の瑞々しさが眩しい。この句も誠実、沈着冷静な昇平さんならではの一句。
その他、印をつけた句を以下に紹介したい。
木蓮の白さばかりが雨の中
空蝉の脚の一本欠けてをり
嘘ついて四月一日始まりぬ
潰れたる柿のぬらりとしてをりぬ
アネモネの芯の黒きに触るゝ指
底紅の底に残りし雨滴かな
ブラウン管越しの男の赤い羽根
晴るゝの日の少なくなりて神の留守
狛犬の脚に冬日の温みかな
寒鯉の水面に触るゝことのなく
アスパラの穂先で空に落書す
(杉原 祐之記)
原昇平さんにインタビューを行いました。
Q1;100句の内、ご自分にとって渾身の一句
→アスパラの穂先で空に落書きす
渾身というのではありませんが、句集名のもとになった句でもあり、
大事にしている句の1つです。
Q2;100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。
→「花」の句はもちろんですが、もう少し「鳥」の句も詠んでいきたいと思っています。
Q3;100句まとめた感想を一句で。
→一つ摘み一つ捨てては蛇苺