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祐之 について

「夏潮」運営委員の杉原です。 平成二十二年四月に第一句集『先つぽへ』を出版

青木百舌鳥『鯛の鯛』鑑賞_渡辺深雪

青木百舌鳥『鯛の鯛』鑑賞    渡辺深雪
 俳人としての青木百舌鳥氏の経歴は長い。この句集に掲載されているどの句をとっても多彩に富んでいる。何より句集全体を通じて、独自の世界のようなものが感じられる。他とは違う趣のある同氏の句を論ずるのは容易ではないが、できる限りその魅力に迫って行きたい。
青木氏の句作を特徴付ける要素のひとつに、まず独自の視点がある。
人多くあれど噴井の水の音 百舌鳥
伐られたる株の平らや落葉中
人のざわめきの中で聞こえて来る音からは、噴井の水の勢いが伝わって来るし、その冷たさも想像できる。また株を中心に置くことで、かえって落葉に埋もれた地面の様子が見えて来る。いずれも視点を少しずらすことで、景の見える句を作り出している。
こうした独自の視点から生まれた句には、時に不思議な世界のようなものを垣間見せるものが多い。
枯木あり月あり海の底の如 百舌鳥
先生の傘か花野に動かざる
 冬の夜の情景は、なるほど何もかもが静かに眠る暗い海底のようにも見える。師匠が置き忘れたに違いない花野の傘も、ずっとそこで花を見ていたいという持ち主の想いを代弁しているかのようだ。独自の視点からとらえた情景が、想像する楽しみをもたらしている。
 独自の視点から生み出される青木氏の句には、ユーモアやおかしみを感じるものも多い。
僧正の豆撒きこぼしたまひけり    百舌鳥
猫迎へ来たりてくしやみくしやみかな
 豆撒きの行事に現れたいかめしい僧正の失敗が、「たまひ」という敬語を用いながら皮肉を効かせて描かれている。猫アレルギーの人間が二回続けてくしゃみ(くさめ)をする様子も、「くしやみくしやみ」と同じ言葉を繰り返してコミカルに表現されている。
 青木氏の句を特徴付けるものはこれだけではない。句作を通じて経験を積み重ねて来た同氏の句には、人生に対するある感覚のようなものが感じられる。
別れたる子猫ふり返りもせぬよ 百舌鳥
人生きて病ひも生きぬ永き日を
 親猫の元から巣立つ猫、病と共に春の長い午後を過ごす人の姿を通じて、四季と共にうつろう世に対する作者の想いが見てとれる。ともすれば主観的になりがちなこの感性も、客観写生という原則の中で、抑制の効いた深みのある描写に変わる。
浮く羽をとどめて春の水の綾  百舌鳥
草舐めし風に糸とんばう消ゆる
 春の水のやわらかさ、糸とんぼのはかない様子が、それぞれ水の上に浮く羽と、そっと吹く風の中に『消える(消ゆる)』描写により見事に表現されている。独自の視点と豊かな感性が、季節の気分を伝える味わいある句を作り出しているのだ。一見シンプルに見えるこれらの句は、俳句の本来あるべき姿を映し出しているのである。
明日雪とスープ煮ながら思ひけり 百舌鳥
 季題は『雪』。が、肝心の雪そのものは描かれていない。描かれているのは、体を温めようと夕食のスープを作っている情景だ。作者は美味しそうにスープが出来上がるのを見て、明日雪が降ると天気予報で言っていたのを思い出した。台所の冷たい空気の中、白い湯気を立てるスープが作者にこれを思い出させたのだ。熱いスープを作る様子が、これから降る雪を予感させるところが面白い。
夏草のぼつぼつ生ふる売地かな 百舌鳥
 以前人のものであった土地が、何らかの理由で売りに出されているのだろう。ここにあった建物はすでに取り壊され、跡には青い夏草が少しずつ生え始めている。夏草といえば、芭蕉の『夏草や 兵共が 夢の跡』という句があまりにも有名であるが、草が生えるだけとなったこの売地にも、人の世のはかなさがよく表れているではないか。地面に生える夏草は、人の営みには目もくれずすくすくと成長して行く。いつの世にも変わることのない自然の姿が、この句には描かれているのである。
日溜りをうはすべりして春の水 百舌鳥
 雪解けの水が川や湖に流れ込むこの頃、温かな春の光が少しずつ差し始める。作者がふと水辺に目をやると、陰一つない日溜りの中にやわらかな春の水が流れていた。川の水はなめらかに、日溜りの上をさあっと滑って行く。日溜りの明るさと温かさが、春の水の軽やかさを際立たせているようだ。おだやかな春の情景を描いたこの句の中に、作者のものを見る姿勢と描写の巧みさを見ることができる。
平滑な風を得たりし蜻蛉かな 百舌鳥
 涼しい秋に蜻蛉はよく似合う。さわやかな風を受けて飛んでいるのを見ると、秋の訪れをしみじみと実感する。さて蜻蛉が飛ぶのを見ていると、そこに一筋の風が吹いた。風に流されながら、蜻蛉は気持ちよさそうに飛んで行く。これが作者の眼には、文字通り蜻蛉が『風を得た』ように見えた。一見説明調にも見えるが、蜻蛉が風と戯れる澄み切った秋の情景を、この句は見事に描き出している。
剥製の熊にしてこめかみに孔 百舌鳥
 季題は『熊』。北国の裕福な家庭かそれとも郷土博物館の中か、大きな熊の剥製が生前さながらの姿で立っていた。ふとその頭に眼をやると、こめかみに穴のようなものが開いていた。それがこの熊を倒した弾の貫通した跡であることに、作者はすぐ気づいた。それが無かったことであるかのように、剥製の熊は堂々と立っている。かつてこの熊が生きていた証であるこの穴を通じて、なにか触れてはならない深淵のようなものを作者は垣間見たに違いない。
清水くみ受けたる缶の冷たかり 百舌鳥
 暑い夏の一日、涼を取ろうと山の湧水を手ですくった者は多いだろう。岩間から流れ出る清水は、痛みを感じるほどに冷たい。が、これが熱い日差しの下では何とも心地よい。後でゆっくり味わおうと、この水を缶で汲み取った。すると清水を汲み取った缶そのものが、急に冷たくなるのを感じた。その冷たさがまた気持ちよい。清水の清涼感が、手触りの感覚を通じて読む者に伝わってくる。
踏跡の尽きて枯野のあるばかり 百舌鳥
 季題は『枯野』。誰かが先に足を踏み入れたのであろうか。何もかもが枯れ果てた野原に、人の足跡が続いているのが見えた。作者がこれをたどって行くと、突然枯野の真ん中で途切れてしまった。周りを見渡すと、ただ荒涼とした大地が広がっているばかりである。足跡の主はこの光景に幻滅して、あるいは恐怖のようなものを感じて引き返したのだろうか。途中で止まった足跡が、『あるばかり』という言葉の余韻と共に、枯野の物寂しい情景を際立たせている。
蛤の開けば湯気吐く網の上 百舌鳥
 『蛤』は春の季題。一言で言えば美味そうな描写である。海に近い店かどこかで、とれたての蛤を網焼きにしているのだろう。固く殻を閉じていた蛤も、熱さに耐えかねたのかゆっくり殻を開け始めた。すると真っ白な湯気が、開いた蛤の中からじゅうという音と共に上がった。勢いよく立ちのぼる湯気の下で、蛤は相変わらず網に横たわって焼かれている。蛤から上がる白い湯気が、ある意味で春の訪れを告げているように感じられる。
あめんぼの底の影こそよく見ゆれ 百舌鳥
 季題は『あめんぼ(あめんぼう)』。最近では、都市化と共に小さな川のほとんどが暗渠となり、この虫を見る機会も少なくなった。さて、あめんぼは水の上を結構早く泳ぐので、なかなか人間の視界に入りづらい。が、作者が覗いた水の底には、あめんぼの影がはっきりと映っていた。水底に映るこの影は、水面の本体よりはるかにあめんぼらしい形を見せている。人とあめんぼ、生命と生命が戯れる小川の水の澄み切った様子が、水底の影を通じて浮かび上がる。
稲穂よく稔り葉先のよく尖り 百舌鳥
 『よく稔り』『よく尖り』という言葉のリズムが、稲穂の波打つ様子をそのまま連想させる。あたかも作者自身が風となり、目の前の稲穂を踊らせているかのようだ。よく尖ったその葉先は、稲の出来が非常によいことを表している。尖った葉先が風に吹かれて揺れるのも、見る者にとっては何とも心地よい。まもなく、美味しいお米がここから沢山採れるのであろう。作者独特の言葉のリズムと、確かな観察眼が生んだ秀逸な句である。
 今回の鑑賞を通じて、写生という行為のあり方を改めて学んだ気がする。これからの句作を通じて青木氏の句がどう進化して行くのか、楽しみである。

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.9」 青木百舌鳥『鯛の鯛』~破壊力は収まってしまったのか?~

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.9」 青木百舌鳥『鯛の鯛』~破壊力は収まってしまったのか?~

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 「夏潮第零句集シリーズ」。第9号は青木百舌鳥さんの『鯛の鯛』。

百舌鳥さんは、昭和四十八年東京都生れ。慶應義塾志木高等学校在学中に本井英主宰と出会い、そのまま俳句の道に入り込んでしまったようだ。その後慶應義塾大学俳句研究会では代表を務め、「惜春」を経て「夏潮」に創刊参加。創刊以来、運営委員として、経理の御仕事をしてくださっている。

 一時お仕事が忙しく句作を中断していたが、「夏潮」創刊と共に本格的に句会の道に復帰。現在では東京吟行会の幹事もしていただいている。

百舌鳥さんといえば、慶大俳句時代から数々の御酒と共に伝説を残された方で、その破壊力たるや絶大なものであった。その百舌鳥さんの俳句というのも、破壊力抜群で自身の感情を定型と季題に目一杯ぶつけるようなものが多かった。

実生活でも、単なるサラリーマンに収まることを嫌い色色な分野に打って出るなど、積極性が百舌鳥さんの持ち味である。一方でこの句集に釣の句が多いことで分るよう、冷静に好機を待つことも出来るのが百舌鳥さんである。

昨今では、主宰の前書きにある通り「他人に分る」よう抑制された俳句を心がけているようである。勿論、その中でも百舌鳥さんらしい句が沢山拝見できた。しかしながら、百舌鳥さんの本来の魅力である「破壊力抜群」の句群にも興味がある。是非「第一句集」を出される際は、そのような俳句も見せて頂きたい。

 なお、句集名の「鯛の鯛」は、2012年1月号で巻頭を獲得された「ちぬ釣つて而して椀の鯛の鯛」に由来する。

經世濟民朦朧として卒業す 百舌鳥

 季題は「卒業」。この句は百舌鳥さんが勢いで詠まれた句ではないか。経済学部を卒業したが、その「経済」の「經世濟民」とは如何なる意味か、結局理解できないまま卒業した。このまま社会人として「経済活動」に携わることになる自分の未来に対しての不安と、「何とかなるか」という肯定的な心境の幅で揺れる心理が描けている。

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 空負うて鵙ゐずまひを正しけり 百舌鳥

 季題は「鵙」。鵙は百舌鳥です。その鵙が枝に立って餌を探しているところを詠んだのだろうか。確かに鵙は凛と立っている様に見える。「ゐずまひを正す」に鵙に対する愛情が籠められた一句。

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『鯛の鯛』抄 (杉原祐之選)

負馬の踵返して走りけり

恋猫の鳴きながら角まがりけり

平滑な風を得たりし蜻蛉かな

素魚のゐなりなりたる鉢の水

虎尾草のよき名もらひて曲がりたり

天球に流星の傷生れて消ゆ

防風を摘みし袋のもう蒸るる

あめんぼの底の影こそよく見ゆれ

逃げ落ちし豆鰺に幸あれかしと

箒目に早や山茶花の五六片

青木百舌鳥さんにインタビューをしました。

青木百舌鳥さん

 

Q:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

A:「傍らに虫襲はせて蟻の道」

見えたものを見えたとおりに詠めたと思っている句です。

Q:)100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

A:歳時記ある魚を釣り、食べ、詠みます。魚のほかも然り。

ちかごろは歳時記が食品リストに見えます。

Q:100句まとめた感想を一句で。

A:前屈し反りて人日空円か

 

『鯛の鯛』を読んで_(矢沢六平)

『鯛の鯛』を読んで
・                 矢沢六平
 モズ君は、飲み食いすることや生き物が、とても好きなんだと思う。突然わけのわからない茸を持参して泊まっていったりして、まったくもって憎めないやつである。今回、句集を読んで、あらためてそのことを思った。
 さておき、さっそく俳句を…。
卒業をして二日経し三日経し
 虚脱感というか、喪失感というか。二三日目くらいが一番そういう感じが強いですね。卒業子を詠むのではなく、本人が卒業子である卒業の句は、もしかすると初めて見たかもしれない。
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ひらひらと踊の輪より抜け来たる
 ひらひらとした様子で、ではなく、本当に手をひらひらと動かしていたのだと思いました。踊りの所作をしながら、目立たぬように、そっと踊りの輪からフェードアウトしてこちらへやって来た…。
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大綿の添ふと見えしが躱しけり
 下五を「躱しけり」としたので、主語が私から大綿に転換した。そこがよかった。
曳波を花の堤にぶつけ行く
 「ぶつけ」るで、曳波を作っている舟の姿が見えてくる。曳波はけっこう強そうだ。だから舟は速いのではないか。堤に、桜と人々。川面に、幾艘もの屋形舟。ただ一艘、河口から艀が来て、周囲の観桜の様子にはまるで無頓着に、川をグングン遡って行く…。
操舵の手残して西瓜啜りをり
 片手運転をしているんですね。自動車だと、シートが汚れて困るけど、船だから立って操縦しているわけで、多少床が汚れても、「ま、いいか」。
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死蝉(※)の命戻りて壁を打つ
 死んでいると思った仰向けの蝉。突然、ジジッと鳴いて飛び立ちました。子供の頃よく見ました。…でも、壁にぶち当たってしまいました。生き物の、こういうまぬけさって、何かこう、あはれがありますネ。(※:「蝉」は旧字)
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籾殼の灰に籾殼盛られけり
 灰色のさらさらの灰の上に黄土色の籾殻の山。灰をもっと作りたいのか、籾殼を全部処理してしまいたいのか。いずれにしろ、何か農作業の一環なんだろう。
 色のコントラストに感じのある句だ。もっと言えば、生と死のコントラストかもしれない。「けり」だと、籾殻を盛ったという行為に読み手の注意が向き、「をり」だと、盛られた様子に注意が向く。だから「をり」の方がよいのではないか…、というのが僕の意見です。違ってたらゴメン。
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伐られたる株の平らや落葉中
 何の株だか考え、結局、木の切株に着地しました。切り口が平らなのだから、太い木ではないのでしょう(大木なら、切り口が段差になっているはず)。スパンと伐られた切り口に、ある種の詩的感興があった、という感じは、私には分かる気がいたします。落葉はまだ、さほど深くはないかもしれません…。
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赤貝の血に透明な水流す
 仕込みの俎板ですね。手前から流れてきた透明な水に押されて、赤貝の血が向こう側へ移動してゆく。血と水はまだ交じり合っていません。
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素魚のゐなくなりたる鉢の水
 冷麦だって、食い終わったら鉢に水が残る。でも、「ああおいしかった」に続く言葉は、特に出てはこないだろう。
 しかし、素魚、である。だから「なくなりたる」ではなく「ゐなくなりたる」。作者は鉢の水を見ながら、「喰っちゃったんだなあ…」と心の中で呟いている。
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別れたる子猫ふり返りもせぬよ
 こちらの気持ちに頓着なくあっけらかんと貰われていった子猫を詠んだのだろう。しかし、ふと、「子猫」と「ふり返り」の間で切れるのではないかと思った。子猫を貰ったことで一生懸命になってしまい、こちらをふり返ってお辞儀することも忘れて帰って行った人よ…。
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祭着の子や祭着の父追ひて
 まだ「かあちゃんがすべて」の年齢の子供なんだろうと思う。でも今日は、とうちゃんの後を追う。二人共、祭衣装だからだ。
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辣韮掘る端から元の砂原に
 さらさらと砂が流れて、あっというまにその凹みは埋まってしまった…。
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岩魚沢下りれば日ある沢の口
 岩魚沢「に」なのか、岩魚沢「を」なのか、とても迷った。
 「に」の場合の解釈。山中を歩いてきて沢の入り口まで来た。沢に下りたら、そこは多少空がひらけているので、さっきまで感じられなかった日差しが差してきた。さ、釣行のはじまりハジマリ…。
 「を」の場合の解釈。岩魚沢を下って、その入り口の場所まで戻ってきました。日はまだ暮れきってはいません。釣果はともあれ、どうやら無事に生還できました(岩魚釣りはホントに山奥まで入り込むようです)。めでたしメデタシ…。
 どちらの解釈も好きです。
日の蔭のバケツにべらを投げ込みぬ
 なぜ、べらなのか。沖縄はともかく、本州ではべらが、最も色彩豊かな魚のひとつだからだろう。
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水底に鯊の叩きし煙二度
 さすが釣りキチ、よく見ています。鯊が水底を叩いて逃げる時、尾の動作は、「パン」ではなくて、「パパン」ですよね。
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踏跡の尽きて枯野のあるばかり
 作者も前に来た人達と同じように、ここで引き返すのでしょう。
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漉き上げし如く田毎に残る雪
 四角い田圃の四辺に添った部分の雪が融けて土が見えている、という状況でしょうか。つまり解け残った雪も四角い。
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蛤の開けば湯気吐く網の上
 「湯気立つ」ではなく、「湯気吐く」としたところが好い。うまそうだなあ。
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防風を摘みし袋のもう蒸るる
 コンビニのレジ袋にでも入れているのでしょうか。摘まれてもまだ、息をしているんですね。
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お握りを積みてさなぶり支度出来
 改めてお礼の接待としてのさなぶりと、「お疲れさん、さあ食べて食べて」のさなぶり。もちろん後者です。若い人が大勢お手伝いに参上していたのしょうネ。
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ちぬ釣って而して椀の鯛の鯛
 「而して」で、「料理して(あるいはしてもらって)食べた」という一連の時間の流れを言い表した。そこがよかった。鯛の鯛が上手に残せた時は嬉しいものだが、自分が釣った魚であれば、いつもとは少し違う感じもあるだろう。
前景に稲の掛かりし浅間かな
 穂高や乗鞍では、山が「遠景」になってしまう。富士に稲は似合わない。稲架が前景となる「近さ」が浅間山の持ち味の一つなんだと思う。
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登り来て神か狢か棲む祠
 崩れて苔むして、もう祠かどうか判らなくなっているんですね。
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箒目に早や山茶花の五六片
 まだ新しいくっきりとした箒目が見えます。
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 零句集、たいへん美味しうございました。俳句を堪能いたしました。
 またいつでもおこしください。ただし、日曜日以外に。なぜなら日曜日は肉屋が休みで、馬刺しが買えないから(スーパーでも売ってるけど、やっぱ肉屋で切ってもらったやつは全然違う!)。
 共に食い、共に飲み、ともにさすらい、そしておおいに俳句をつくりませう。謝々。

小池康生『旧の渚』(ふらんす堂)_(杉原)

小池康生『旧の渚』(ふらんす堂 2012年4月)

小池康生さんは、1956年大阪市生れ。1996年頃から作句を開始し、2001年「銀化」へ入会、中原道夫氏に師事。2003年には銀化新人賞を受賞されている。
大阪在住で、マスコミ関係のお仕事をされているとのこと、何処か少しずつずらしながら季題を生かした俳句を詠まれている。「銀化」らしい知的に積上げられた句が多いと感じた。

 濯げども濯げども夕立の匂ひ 康生
 炬燵出す去年の匂ひしてきたる 康生
→この句集で私が印を付けた句には「匂ひ」が多かった。

 私が偶々好きなだけかもしれないが、「匂ひ」にこの作者の「ざらざら感」が伝わって来た。
 前者の季題は「夕立」。夕立で濡れた洗濯物を濯いだ。

 洗濯機でも洗濯板でも良いが、夕立と汗に塗れたシャツは確かにある独特の匂いがある。この句の背景は「序文」で中原主宰が明かしているが、それを知らなくとも働き盛りの男性らしい俳句である。
 後者の季題は「炬燵」。炬燵を押入から引っ張り出すと、色色な染みや傷が見えてきた。それらと共に「匂ひ」も伝わり、昨年の思い出と共に「蘇ってきた」。この匂いにはある哀しみが感じられる。

 風呂吹のなかの炎にゆきあたる 康生
→季題は「風呂吹」。集中最後の一句。風呂吹を箸で崩していくと、その中は芯が燃えているように、熱を持っていた。

 それを作者は「炎につきあたる」と詠んだ。そこに感動があった、確かな実感と共に。「炎」と詠んだところが素晴しい。
 勿論、作者の俳句に対する思いと重ね合わせて解釈しても良いだろう。

 中原道夫主宰の懇切丁寧な序文は、読み応えがあるが、一部作者の句集に書かれていない「背景」に踏み込まれ過ぎていて、結社(「銀化」)外の人間としては困惑するところがあった。

 「銀化」外の人にも分りやすいよう意図したのかもしれないが、逆にこの句集が「銀化」のものであると言う感が強くなってしまった。序文は難しい。

小池康生『旧の渚』

その他の印をつけた句を紹介したい。

金魚より重たき水を掬ひけり
人乗つて硬くなりたるハンモック
セーターに出会ひの色の混ぜてあり
雪捨場夕日も捨ててありにけり
浮寝鳥旧の渚はこのあたり
連翹や午後から曇る日の続き
六月の何度か切れるアーケード
梅雨明けて木場の丸太の浮き沈み
ぼうたんの手前に風の止まりをり
螢狩鉄路の上を歩みけり
船渡御に夜店の匂ひ届きをり
羽蟻の夜ブッフェの補充遅れがち
内側に肉を滑らす栄螺かな
てふてふや崩れさうなる荷を乗せて
風光るパスタひねつて盛りつける
ひとかけもひとかたまりも桜海老
老海女の毒づきながら着替へをり
漁火やビール二種類混ぜあはす
月光のせせらぎに口漱ぐなり
流れ星船員手帳色褪せど

以上(杉原記)

俳誌「古志」青年部年間作品集2012_(杉原)

俳誌「古志」青年部年間作品集2012

 

暫く、「汐まねき」のコーナーにおいて、他誌や他の作家の方の作品をご紹介するのを怠けていた。

今回は、他の雑誌の「青年部」の作品集をご紹介する。

「古志」は長谷川櫂氏が1993年に創刊。その後、2011年に大谷弘至現主宰(1980年生)が30歳で主宰を継承。

主宰の年齢から察しがつくとおり、現在はこの「青年部」メンバー/出身者が運営の中心を担われている。

ここに登場する21名の中にも編集やHP担当など数多くの仕事を担当している模様。

40歳以下の会員数21名とは、当「夏潮」と同じ程度の規模であろうか。

「古志」青年部2012

御一人ずつ作品を、生年月日と共に紹介させていただく。

●イーブン美奈子(1976年生)

早回ししてゐるごとく蟻の道

●石塚直子(1987年生)

夏痩の膝を抱へて眠りをり

●泉経武(1965年生)

鱗雲テニスボールが壁を越え

●泉裕隆(2001年生)

鮭上る川真黒になりにけり

●市川きつね(1987年生)

触れてみて桜と気づく新樹かな

冷ややかに山をのみこむ山の影

●大塚哲也(1981年生)

大川を諸国の落ち葉流れゆく

●岡崎陽市(1972年生)

七夕の河のむかうに灯がともり

●川又裕一(1971年生)

陶然と唐銅あをむ春の雨

●関根千方(1970年生)

這ひ這ひに皆ついてゆく恵方かな

●高角美津子(1973年生)

青梅や窓開けはなち朝稽古

●高平玲子(1969年生)

風鈴をも一度鳴らし仕舞ひけり

●竹下米花(1974年生)

卒業の子に珈琲を淹れてやり

●竹中彩(1976年生)

終はりなきメールを交はす夜長かな

●丹野麻衣子(1974年生)

花あまた落として椿軽からん

鮎生簀滝の流れに打たせあり

 ●辻奈央子(1977年生)

宵山や亀もそはそはしてをりぬ

●藤原智子(1976年生)

秋深し夫が絵本を読み聞かす

●前田茉莉子(1984年生)

ふらここの鎖ピンクに塗られをる

●森篤史(1990年生)

ペン胼胝の消えぬ指先大晦日

●山内あかり(1968年生)

ふるさとに雪降り続く雑煮かな

●山本純人(1977年生)

お隣と文句言ひ合ふ猫じやらし

●渡辺竜樹(1976年生)

霏々と雪リフトくるりと帰りけり

 

「青年部句会」は長谷川前主宰により、かなり厳しく指導がなされていたようで、句のリズムに緊張感が見られる。

また、各人を通してある一定のリズムで句が並んでおり、前主宰の指導が行き通っている感じを受けた。

 

ただし、「無難に上手い」俳句から、まだまだ「個人の詩」まで昇華し切れていない印象を受けた。

「無難に上手い」とは、言いたいことが思わせぶりで分りやすい。具象性が足りない句が多い印象を受けた。所謂「雰囲気美人」俳句が多かった。

しかしながら、若い主宰を囲んで同世代のメンバーが切磋琢磨している中で、どのような個性が生まれるか楽しみにしたい。

当作品集は、「古志」HPから、購入することも可能である(1冊500円)。

http://www.koshisha.com/?page_id=6

 是非、当「第零句集」シリーズの作品と見比べていただければと思う。