投稿者「taizo」のアーカイブ

改札を過ぎてホームの野分風 (麻里子) 泰三

  季題は、「野分」で秋。秋に吹く強い風の事を言う。野の草を吹き分ける風という意味だそうである。広辞苑などの解説には、台風の事と説明されるが、虚子編歳時記において「台風」は別の題として立てられている。違いは、野分はやはり「風」そのものをさすことだろうか。

  さて、この句。改札口を出て、ホームに出てみると野分が吹き溢れているという。なるほど、改札には屋根があり壁がある。駅によっては、立ち食いそば屋すらある。しかし、東京や福岡といった終着駅でないかぎり、ホームは吹きさらしだ。風は容赦なくホームを吹く抜けてゆく。野分のためダイヤは乱れてしまっている。後は、止まってしまわないことを祈りつつ電車を待つ他はない。そんな景色が目に浮かんだ。

 ただ、野分が風そのものをさすとすれば、「野分風」の「風」は余計なのかも知れないと思った。

 

 

ロシア婦人のごとく大柄鶏頭花 道子 (泰三)

 1月ももう終わりですね。新年会で多くの人に会えますことを楽しみにしている泰三です。皆様はいかがお過ごしですか。

 季題は、鶏頭で秋。花の色形が鶏冠に似ているためつけられた名前である。虚子編歳時記には、

 人の如鶏頭立てり二三本 普羅

 の句があるが、頭でっかちな花で、なるほど人の様にも見える。

 この句は、鶏頭がロシア婦人のようだ、しかもロシア婦人のように大柄だと見立てる。ビロード状の花びらはいかにもロシア婦人が着ていそうな服に見える。そして鶏頭のすっくと伸び咲く様は大柄というに相応しい。鶏頭がウォトカを呑んでも酔っぱらいもしない、そんな花に見えてきた。

大波と小波とあつて虫の声 昌平 (泰三)

 季題は、「虫」で秋。秋の夜に聞こえてくる、虫たちの声である。涼しい中、聞こえてくる声は美しく。いつまでも聞いていたいものである。

 さてこの句。理屈で言えば、音波である。しかし、この句は、虫の音が、大波や小波が寄せ来る音のようにあたかも虫の音が聞こえた様を、感じたとおりを句にしたのだろう。なるほど言われてみたら、たくさんの虫が一斉になく「大波」もあれば、少ない虫が声を合わせている「小波」もある。

熊避けの鈴の音楽し紅葉谷 ひづる (泰三)

あけましておめでとうございます。正月太をどうにかしなければならないと思いつつなにもしていない泰三です。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

季題は紅葉で、秋。紅葉谷とは、紅葉に溢れている谷のことを言う。この句の場合、この谷には熊が出るという。用心のため、熊避けの鈴をぶら下げて紅葉狩りに出掛けた。熊の気配は全くなく、熊避けの鈴は、音楽のように響いている。

 

 

ポストまで十メートルの残暑かな 公子 (泰三)

 例年のことですが、職業柄クリスマス準備に苦しめられている泰三です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 季題は残暑。秋になってもしつこく残っている暑さのことである。近年この残暑が全くひどいもので、なかなか涼しくならない。さて、この句。手紙を出しに来た。十メートルなんてほんの数歩である。が、あと十メートルが遠く感じる。ここに来るまでに汗もぐっしょりかいている。戻る道もまだまだ暑い。しかしさすがは俳人。その残暑を楽しみ、一句に仕上げている。