日盛をバイク元気に出て行かれ 西岡あやめ 梅雨明けの近し青空鮮やかに 大広間冷房二十八度なる シニアカー西日沈めばポストまで 遠花火一つ開けば一つ鳴る 矢沢六平 凩にひん曲げらるゝ女滝かな 櫻井茂之 熊肉と人と入りゆく冷蔵庫 藤永貴之 鋤焼や卵かたかた運びくる 前北かおる
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日盛をバイク元気に出て行かれ 西岡あやめ
季題は「日盛」。一日のうちで、最も暑い盛りの、正午から午後三時頃までである。つまり暑さを厭う人々からは敬遠される時間帯。それが季題となっているところに大切な意味があろう。普通なら「暑くて、暑くて」何もしたくない状況でも、心持ち次第では楽しくも過ごせようし、これもまた「造化の神」の我々への送りもの(「季題」は全てそうである)と思えば、そこにいくばくかの「趣」すら生じてくる。
一句の味わいどころは「出て行かれ」。つまり「行かれ」に含まれる「尊敬」である。助動詞の「る・らる」には尊敬の意味がある。「バイク」で「日盛」で出て行った人物への尊敬の気持ち、誰か敬意をもって接すべき人物である。もちろん、親でも、先生でも誰でもいい。こんな日盛りの時間に「元気に」出発した人物への敬意が、事故でも起こされなければ良いが、お疲れが出なければよいが、という思いやりをも含んでいる。
ここまでは解釈。ここからは鑑賞。さて「どんな人物」が「バイク」で出かけられたか。筆者の脳裏には、すぐ「盆経」を上げに来て下さった和尚様が浮かんだ。お経が終わって麦茶などを召し上がりながら、「仏さん」の思い出話などをされた和尚様が、「では」と言って立ち上がられた。今は「日盛ですので、もう少し、こちらでお休みになってから」と申し上げても、和尚様は、「あと何軒かは回らねばならぬ」からと「日盛」へ出て行かれたというのである。
鑑賞は読者によってさまざまに異なる。しかし、さまざまに連想を呼び起こしてくれる句は、良い句である。
「バイク、元気に」の省略によって、軽快なリズム感が出たところも見逃せない。(本井 英)
雑詠(2015年11月号)
夏草に沈んでしまひ花時計 玉井恵美子 崖下にぼうと白みし花サビタ 一面になんばんの花爺元気 烈日に家並静か凌霄花 水槽のひとつぎつしり布袋草 山内裕子 蘂深く抱きて今日も蓮眠る 福伊英子 梅雨空や散歩いやがる妻の犬 浦木やすし 美術館搬入口の夏木立 坂 廣子
夏草に沈んでしまひ花時計 玉井恵美子
季題は「夏草」。いかにも勢いよく茂る草が目に浮かぶ。「花時計」は公園とか植物園に設置されているのであろう。どことなく西洋的な明るさ、朗らかさを感じさせる物。文字盤に見立てた斜面に、その時その時の花を配置して、そこを大きな針がゆっくり旋回する。
ところが、その楽しい「花時計」の景色が、さまざまの理由で手入れが行き届かず、すっかり「夏草」に蔽われてしまった、というのである。勿論「針」はとっくに止まっている。「花時計」がそんな状態ということは、公園なり植物園の他の施設も、すっかりさびれ果てているに違いない。
一句の表現上の手柄は「沈んでしまひ」である。「沈む」は本来液体の中に何かが没すること。低い場所に蟠る。そして上部は水平線のように同じ高さの面が蔽う。こう表現することで、見事に景が立った。
大切なことは、おそらく推敲の果てに「沈む」という言葉に逢着したのではなく、「ふっと」口をついてでた言葉であろうというところだ。(本井 英)
雑詠(2015年10月号)
岸壁にふるるともなく水母群れ 田島照子 水母浮くときどきかさを水の上に 三度鳴る出船の汽笛波涼し 薔薇赤し軍港として今も尚 甚平の紐を結びて抱き上げて 津田伊紀子 夏帽子脱げば散髪したてなる 児玉和子 一揆の碑そこだけ荻の刈られあり 山口照男 人海の上に坐(マ)したる燕の子 稲垣秀俊