病を主 本井 英
通院の日々のふたたび梅雨寒し 梅雨寒のいつまで昏れぬ川ほとり 燕翔るロープワークの図をなぞり 色合ひの近親づくめ立葵 十薬の葉をこそ賞づれ濃紫
東京から来し人々に梅雨晴間 五月晴小型機脚を出したまま 梅雨晴や病めば病を主とし 老鶯のこまぎれながら途切れなく 尻の肉落ちれば硬し涼み石
塗りつけし白の重たし半夏生 夏雲へねぢれ消えたり出発機 刃もてとげし本懐虎ケ雨 鬼王も団三郎も虎ケ雨 こみあげて堰を切りたり虎ケ雨
語りきし果ての号泣虎ケ雨 虎ケ雨化粧坂にも降りおよび 男は死に女は生きて虎ケ雨 虎瞽女の泊り泊りの虎ケ雨 いまに売る虎子饅頭虎ケ雨
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課題句(2019年8月号)
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「新涼」 稲垣 秀俊 選 新涼の水族館の暗さにゐ 児玉和子 新涼の内陣に燭ゆらぎをり ペディキュアはぬらずにおくや涼新た 天明さえ 秋涼し上げ汐時の川面かな 遠藤房子 新涼のカチッとカフスボタンかな 本井英 灯台は風に磨かれ涼新た 青木百舌鳥
潟船へ月の歩板の高々と 藤永貴之
季題は「月」(秋季)である。「潟舟」は辞書的には八郎潟で用いられた細型の和船の謂となるが、現在八郎潟のものは姿を消しているというので、有明海あたりの「干潟」に置かれたような状態の船を表現する造語と見た。地元ではそのように呼ぶのかもしれない。
通常の港湾ではめったにないことであるが、有明海のように干満の激しい海域では干潮時には船溜まりの海水さえ引き切ってしまって、船がそのまま海底に置かれたような状態になることが少なくない。
そんな船と堤防との間に掛け渡されるのが「歩板」。せいぜい巾三十センチほどの板である。その歩板に今、秋の月光が当たっているのである。皓々と照らす月光は「歩板」だけでなく船体も干潟も遍く照らし出している。そして照らされた部分が明るければ明るいほど、今度は「影」にあたる部分は黒く暗い。たとえば高々と渡っている「歩板」が潟面に落とす「影」の黒いこと。絵筆持たぬ身ながら、是非一枚の絵画に残したいような場面に見えた。(本井 英)
雑詠(2019年8月号)
潟船へ月の歩板の高々と 藤永貴之 禁苑に残る御文庫終戦日 星月夜火星またゝくことをせず 月あかり舟は潟土に乗り上げて 女郎蜘蛛の夫や死ぬまで居候 お呉れよと言へぬ雀の子のあはれ 稲垣秀俊 加湿器のぼここぼぼこと春の夜 望月公美子 教会の扉のあいてゐるイースター 冨田いづみ 金鳳華清滝道といふを来て 山内裕子
主宰近詠(2019年8月号)
花宰相 本井 英
わけもなく立夏がうれしかりしころ 磨硝子つつじの朱 を伝へたる 夏潮の碧きに飽きず章魚を釣る 令和元年五月との魚拓かな 入港の漁船を卯波追ひ止めず
風呂をいただき麦飯にもよばれ 蚕豆をただ焼くだけの馳走にて 地の底に清滝川や若楓 蕗原を水音伝ひをりにけり 蕗原もありてかしこき辺りかな
隅田川を眼下の暮らし業平忌 在五中将と慕はれたる忌日 葬儀社のてきぱき動く薄暑かな 栃が咲きニセアカシヤが慕ひ咲き つばくらめ青と見え紫と見え
泥波の起こりては止み代を搔く 代搔の仕上げ対角線にかな 届きをる早苗撫づれば心足る 芭蕉玉巻くきゆつきゆつと音しさう 百官の居ならぶどれも花宰相