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課題句(2021年8月号)

課題句 「稲の花」       前北かおる 選

どこからも見ゆる月山稲の花		小沢藪柑子
バス停に迎への車稲の花

中尊寺坂を下れば稲の		飯田美恵子
稲の花咲くともなしに咲き終り		町田 良
稲の花戻りて井戸に足洗ふ		岩本桂子
赤壁と呼ばれて旧家稲の花		本井 英

北窓に一本桜絵のごとし   小山久米子

 季題は「桜」。「一本桜(ひともとざくら)」は、ぽつんと一本立っている櫻樹。「北窓」は「北側に向いた窓」の謂いには違いないが、俳人ならおそらく、「北窓塞ぐ」「北窓開く」という季題を連想し、この句の場合も、冬の間、風雪から暮らしを守るために、ずっと閉ざされていた「窓」を心に描くのが鑑賞の道筋であろう。そうなるとおそらく舞台は「北国」とか「山国」ではあるまいか、と空想が膨らんでくる。読者の中には「絵のごとし」の措辞に抵抗を覚える向きもあろう。「美しいもの」なら何でも「絵のごとし」と表現する常套手段が昔からあるからだ。しかし、この「絵のごとし」というのは、それとは違う。本当に展覧会かなにかで展示されている「絵」のようであった、というのである。光りの及ばない、やや暗目の部屋の「北窓」が、ちょうど額縁のように「横長」に切りとられていて、その画面の中の「野」には、南の方角から日をいっぱいに浴びた「一本桜」が翳りのない明るさで満開を誇っている。その明るさと、室内の薄暗さが見事なコントラストをなしている。さらに「北窓の」という言い回しもある中で、「北窓に」としたところも、一句の懐を広くしている。「に」としたことで、「一本桜」の後に、軽い「切れ」が生じていることに、気付いていただけるだろうか。その小さな「ポーズ」によって「絵のごとし」の意味も大きく拡がったのである。(本井 英)

雑詠(2021年8月号)

北窓に一本桜絵のごとし		小山久米子
顔に背に泥を飛ばして畦を塗る
畦塗つて泥のにほひの父帰る
チューリップ唱歌のやうに色並べ

河原まで人下りてをり花曇		山内裕子
フェラーリのタイヤ見てゐる豆の花	中島富美子
えご散つてくるりともせで止まりけり	田中 香
水を見る蟷螂遂に水に入る		藤永貴之

主宰近詠(2021年8月号)

鈴木療養所        本井 英

余花の牧百葉箱のやゝ低く

夕風のにはかに立てる余花の牧

忍冬咲きしばかりや紅はしり

まぬかれず窶れ黄ばみて忍冬

磯原を撫でゆく風に跣足かな



ちぬ釣は浪しづかさをぼやきけり

飽きてきしちぬ釣余所見ばかりして

追ひ風にヨツトあやふし前のめり

茅花きらきら此処には鈴木療養所

十薬の蕾このもし葉はさらに



うすら日にぱらりとこぼれ薔薇の雨

稲瀬川の碑あり浜大根満開

ぷくりぷくり浜大根も実をなせる

波乗には向かぬながらも卯浪寄す

卯浪寄すこゝに「大海老」ありしころ



雨音はさつきからあり栗の花

老鶯のあとをひきとり画眉鳥は

恋はいつも少し乱暴業平忌

沖空の黄昏れそめし穴子釣

鴫立庵

この庵や芭蕉巻葉もあらまほし

課題句(2021年7月号)

課題句 「百合」         山本道子選 
  
磨崖仏の目鼻の欠けて崖の百合		園部光代
百合の花トランペットのドレミファソ

山百合や三角屋根の音楽堂		前田なな
山百合をバケツに漬けて道の駅		町田 良
日の少し差して山百合匂ひくる		山内裕子
ご別荘の百合の盛りの車寄せ		本井 英