信野伸子句集『日焼け』を読んで~稲垣秀俊
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信野伸子さんとは、慶大俳句の合宿でお会いしたことがある。本書の序で岩松教授が書かれているように快活な方で、元気を分けて頂いたこともしばしばであった。
俳句のほうでも、しっかりした観察がありつつも、ユーモアを感じさせる句が多い。
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打水の終ひはバケツ放るごと
柄杓で掬えないほどの水量になってから、残りの水も足元に流すのではなく、「放るごと」撒き散らすというのは、打水ならではの景であり、観察眼の光る写生句である。
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蟻の列日曜日とは人のこと
週末に外出すると、蟻は曜日にかかわらず甲斐甲斐しく働いている。それを「日曜日とは人のこと」と叙すことによって、蟻には蟻の、人には人の都合があるというユーモアが感じられる句になっている。
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日焼けして腕まくりして教師たり
本書の表題句である。「~して」と繰り返すことで力強いリズムが生じ、日焼けという季題が前面に出てくるため、この句がコスタリカで詠まれた事を知らずとも、どこぞの田舎の体格のいい先生の姿が見えてくる。
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夏暖炉寄れば今日ゐぬ人のこと
避暑地の宿でのことであろうか。夏暖炉を囲んで、この場に来られなかった人の消息について云々している景は、いかにも夏休みの1コマといった感じがする。
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一方で、女性らしい繊細な感性を窺わせる句もある。
あぢさゐに生まれきたりし水の色
アジサイは梅雨時に咲く花で水との結びつきが強く、また色彩が淡いため、「水の色」と言い切っても違和感を生じない。これが他の植物ではこうはいかないであろう。また水の循環についても思いを致すことのできる句になっている。
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暗がりの肌脱ぎと目の合ひにけり
こちらは満州で詠まれた句である。肌脱ぎで涼んでいる男と目が合った瞬間が句になっている。「暗がり」が句全体によく利いているため、偶然視線がぶつかったというよりは、他人にじろじろ見られ、詠み手がアウェー特有の居心地の悪さを感じていたことを推測できる。
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(稲垣秀俊記)