伐採の青葉の香り道包む
季題は「青葉」ですね。伐採は間伐でもいいんですが、何かのことで、青葉の茂っているのを伐ることになった。チェーンソーの音がして、道の辺りに、葉がついたまま枝が盛り上がっている。そんな所を歩いたところが、その香りが道全体を包むようにあった。ということです。元の句、「伐採の青葉香りて道包む」。これだと、青葉が道を包むことになる。香りが道を包むんでしょうね。そうすると、掲句のように「伐採の青葉の香り道包む」としないと、句としては成り立たないですね。
麓なるつつじの色へ下りけり
つつじの色というのは、何も一色ではなくて、いろいろの色があるんだけれども、目が痛くなるような赤い色ってのがあるんです。外の花にはなかなか無い色なんですけれど、つつじの最も特徴的な色でしょう。小高い丘から下のつつじの方へずっと降りてきた。それはつつじへ降りるというより、つつじの色に降りていくような感じがしたということで、霧島とかの高原の感じでもいいし、
どこか植え込んだ六義園とかの築山を見るのも構わない。あるいは小石川の植物園の上から下へ降りてくるのも、こんな感じがしますね。そんな心楽しい句だと思います。
平均台のやうに茎来し天道虫
元の句、「平均台のやうに草来し天道虫」。『葉』だと平均台という感じがしない。茎だと、なるほど天道虫の腹より茎の方が狭いことがありそうで、平均台という比喩が生きるでしょうね。
牡丹描いて牡丹見ている昼下り
ちょっと感じがある句ですね。牡丹が咲いたので、牡丹を描いてみましょうというので、描き始めた。しばらくして描き上がってもいいし、途中で描くのを止めて、他のことを考え始めてしまって、手は止まったままで、牡丹を見ていた。描き上がったわけではないが、描く気持ちではなくなって、ほかのことを考えながら、牡丹を見てしまったという方が、句としては、深いかもしれませんね。元の句、「牡丹描き牡丹見ている」。これだと、説明っぽくなってしまいますね。「牡丹描いて」と字余りになさった方が、この句はかえって生きるかもしれません。
湯気もまた緑色なす新茶かな
ちょっと出来過ぎている。湯気が本当に緑色かというと、そんなことはないんで、湯気の下にあるお茶の緑が映えて、湯気もそんな感じに見えたというんでしょうけれども、それを強引に「緑に見えます。」と言った潔さもいいのかもしれません。でも若干危険分子を含んでをりますね。
葉桜のたはむるるごとそよぎをり
元の句、「たわむれるごと」。「たはむるるごと」でしょうね。「たわむれる」は口語ですね。「たはむるる」は文語。なるほど花の咲いている時に、揺れていると、『戯れる』という感じより、「まあ、散っちゃったら、どうしよう。」なんて言う方に、人間の気持ちが行ってしまう。葉桜だと、よほど風に吹かれても、現金なもので、安心して見ていて、まるで『戯れているようだな。』葉裏と葉表に、若干の色の違いが、それほどけざやかではないんだけれども、出てきて、面白いですね。葛の葉みたいに表と裏の色が全く違うというと、もっともっと違う印象になりますが、でもこの葉桜の気分がよく出ていると思います。