花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第99回 (平成18年9月8日 席題 蚯蚓鳴く・女郎花)

傘のごと葉をかざしをり葛の花
 これはある意味で見立てです。葛の葉と葉の隙間から見えた。ちょうど葛の花が葉を傘のようにしてかざしているようにも見えた。ま、これは見立ての句なんですが、いやみはないですね。  
明治座の高提灯や風は秋
 いかにも浜町河岸の大川の風。明治座の高提灯というだけで、「風は秋」がただの風は秋ではなくて、大川の川風が秋になった。とそういわれると、夏の思い出、花火の思い出も終わって、どんどんこれから秋が深まっていくといった、大川端の情緒がよく出ていると思いますね。  
民宿の足湯の庭の女郎花
 この句のうまいのは、女郎花という花のもっている、明るさがよく出ていると思う。民宿で流行だから足湯をやろうというので、割合粗末な庭なんでしょう。足湯をやるんですからね。粗末な庭なんだけれども、そこに女郎花が無邪気に咲いているという感じがしてきましたね。  
蚯蚓鳴く国分尼寺跡とぞ聞ける
 国分寺というのは、聖武天皇が全ての国に作って、国分尼寺もそうですが、国分寺はそう「あはれ」はないんですが、下野の方の国分尼寺跡へ行ったことがあるんですが、「あはれ」がありますね。いくら天皇陛下の命令だからっていって、尼さんばかりの寺を日本全国に作ったというんだから、ずいぶん強引な…。宗教ですから、相手はね。そうするとそこに行きたくはなかったのに、食べられないし、尼になって飛ばされて、武蔵の国の国分尼寺にいた女。を考えると、「あはれだなー。」そりゃ寂しくて寂しくてほんとうは上方に帰りたいんだけれど、そうはいかないや。と思って、しーと蚯蚓を聞いていたこともあるかなと思うと昔の女の尼になった者のあはれがありますね。この時代の尼というのは、ある意味では口減らしの部分がありますね。貴族といっても、大したことない者が、女の子ばかりなので尼さんにしてしまって、口減らしと、お上に好かれようと思ってやるんだけれど、哀れな女の一生が見えてきて、面白い句だと思いましたね。  
モーツァルトの調べ親しき夜なべかな
 この句のうまいのは、夜なべが一人だっていうのがわかりますね。モーツァルトをかけて、好きな曲をかけて、仕事がどんどん進んでいく。「ああ、遅くなっちゃったな。」と思いながらやっている。モーツァルトの調べというので、一人だなというのがわかっていいなと思いますね。一つの灯の下で夜なべの仕事をしているということでしょう。

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