花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第59回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

かつて此処に津田塾ありき初句会
元の句、「かつて此処津田塾ありき」。勿論、字数から言えば、原句のようでいいんだけれど、「かつて此処に」と字余りにすることで、その場所への思い入れが、そして、普通、ことばとしても、「かつてここに XX ありき」というふうに「に」があるんでしょう。ことばっていうのは、思い入れというのが大切で、五七五にこだわることはない。
寒釣の紡錘(つむ)のごとくに佇ちをりぬ
うまいこと言う人がいるなと思いました。紡錘って言われると、立っている感じがよくわかります。この場合は寒鯊かなんかでしょうね。「寒釣」というのは、昔、虚子先生の武蔵野探勝会に「寒鮒釣のゐる風景」という文章があるんですが、寒鮒が寒釣の代表格だった。寒鮒の場合には座っていますね。寒鯉釣も座っています。立ったまま釣るのは、大体、寒鯊。鯊は自分が動きながら釣りますから、立っているんです。僕は寒鯊釣を想像しました。
岩のりの包みひろげて島根の香
これ、面白い句ですね。僕が信奉している、いわゆる花鳥諷詠とは若干違う傾向かもしれませんが、「島根の香」と言われると、面白いですね。つまり出雲ですね。日御碕とかね、あの辺の国譲りの物語がずっと背景にあって、出雲の冬の厳しさ。そして多分、出雲の出身の人から贈られたんでしょう。開けてみて、「日御碕の香りだよ。」と思った。ということで、そう捉えると、なかなかいいお句です。
河豚鍋や年取ることもよしとして
今は河豚鍋を食べることは、こわくも何ともないんですが、ご承知の通り、鉄砲ですよね。さしみは「てっさ」、ちりは「てっちり」。てつは鉄砲で、あたる。芭蕉の句に「あらなんともなやきのふは過ぎてふぐと汁」という句がありますが、昔は命がけで食ったものです。今はそんな緊張感はないんですが、この句はそんな俳諧的な河豚というものの本情を捉えている。危険だと言われたものだけれど、年取ってもいいじゃないか。河豚で命を落とした人に思いを馳せながら、河豚というものを俳諧的に捉えていると思いました。
朱の椀に七草香る夕餉かな
何の変哲もないようだけれど、この句の姿のよさというものが、いかにも七草。そして落ち着いた静かな夕べというのが目に浮かぶようで、いい句だと思います。

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