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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第63回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

お迎へや日脚伸びたる保育園
これは採るか採らないか、悩んだ句なんですけれど。最近の世相からすると「お迎へや」というのが切実で…。最近のお母さんは人生をかけて、お迎えに行ってるという感じがする。でも、「日脚伸ぶ」の感じも出ているなと思いました。日脚伸ぶということで、小さいジャングルジムとか、そういうものが目に浮かぶ。
寒釣の竿先動くけはひなし
この句、面白い句ですね。ぽつねんとして、釣っている人。後ろから見ているのが、作者です。動く気配もない。釣れないね、これは。と思っている。
紅白を背中で聞いてごまめ炒る
ごまめを炒るタイミングは、大変むずかしい。ことに蜜を入れるタイミングがむずかしいんだそうですが…。そっちに夢中になっているんだけれど、一方、好きな歌手もいて、その番になったら聴こうと思っているんだけれど、まだなっていないようだから、テレビには背中を向けたままで、ごまめを炒っているという、大晦日の一場面だと思います。
師に推され友に誘はれ初句会
ああ、転校生の句ですね。初句会というのは、お正月最初の句会で、その句会に初めて来ることを初句会とは言わないんだけれど、たまたま初句会だから、是非来てごらんと自分の先生も言ってくれているし、友達もいらっしゃい、いらっしゃいと言ってくれたんで、面映い気持ちで、初句会に参加した。という、そんな感じがあって、お土産の一句として、気がきいているなと思いました。
竜の玉土うっすらと濡らす雨
元の句、「竜の玉土うっすらと濡るる雨」。「濡るる雨」というと、何を言いたいか、わからない。「濡らす雨」なんでしょうね。これはこれで一句なんですよ。想像句でいくと、土が濡れたのもいいし、石でもいいですね。「竜の玉石うっすらと濡らす雨」とすると、竜の玉のある場所が見える。土だと、濡れたか濡れないかは、なかなか判断がむずかしい。石だと、うっすら濡れているというのが、はっきりわかる。どうせ想像句なら、土より石の方が竜の玉らしい。竜の玉の季節、石の冷たさが出る。そんな気がいたしました。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第59回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

かつて此処に津田塾ありき初句会
元の句、「かつて此処津田塾ありき」。勿論、字数から言えば、原句のようでいいんだけれど、「かつて此処に」と字余りにすることで、その場所への思い入れが、そして、普通、ことばとしても、「かつてここに XX ありき」というふうに「に」があるんでしょう。ことばっていうのは、思い入れというのが大切で、五七五にこだわることはない。
寒釣の紡錘(つむ)のごとくに佇ちをりぬ
うまいこと言う人がいるなと思いました。紡錘って言われると、立っている感じがよくわかります。この場合は寒鯊かなんかでしょうね。「寒釣」というのは、昔、虚子先生の武蔵野探勝会に「寒鮒釣のゐる風景」という文章があるんですが、寒鮒が寒釣の代表格だった。寒鮒の場合には座っていますね。寒鯉釣も座っています。立ったまま釣るのは、大体、寒鯊。鯊は自分が動きながら釣りますから、立っているんです。僕は寒鯊釣を想像しました。
岩のりの包みひろげて島根の香
これ、面白い句ですね。僕が信奉している、いわゆる花鳥諷詠とは若干違う傾向かもしれませんが、「島根の香」と言われると、面白いですね。つまり出雲ですね。日御碕とかね、あの辺の国譲りの物語がずっと背景にあって、出雲の冬の厳しさ。そして多分、出雲の出身の人から贈られたんでしょう。開けてみて、「日御碕の香りだよ。」と思った。ということで、そう捉えると、なかなかいいお句です。
河豚鍋や年取ることもよしとして
今は河豚鍋を食べることは、こわくも何ともないんですが、ご承知の通り、鉄砲ですよね。さしみは「てっさ」、ちりは「てっちり」。てつは鉄砲で、あたる。芭蕉の句に「あらなんともなやきのふは過ぎてふぐと汁」という句がありますが、昔は命がけで食ったものです。今はそんな緊張感はないんですが、この句はそんな俳諧的な河豚というものの本情を捉えている。危険だと言われたものだけれど、年取ってもいいじゃないか。河豚で命を落とした人に思いを馳せながら、河豚というものを俳諧的に捉えていると思いました。
朱の椀に七草香る夕餉かな
何の変哲もないようだけれど、この句の姿のよさというものが、いかにも七草。そして落ち着いた静かな夕べというのが目に浮かぶようで、いい句だと思います。