花鳥諷詠心得帖22 二、ことばの約束-14- カタカナ

文語・口語の話、仮名遣いの話、漢字・漢語の話、と進めてきた「ことばの約束」。

続いては「カタカナ」の話。

「カタカナ」もその名のごとく「仮名」である。「仮名」の第一号が「万葉仮名」で字体としては「漢字」そのものである点は既に述べた。

またその「万葉仮名」を草書体に崩したところから「草の仮名」即ち「ひらがな」の発展していった話もした、はず。ところで今回の「カタカナ」はと言うと。元々は漢文訓読の場面にその存在の意味があった。「漢字」の項でも触れたように、漢字はもともと「漢文」を表記するための文字。

その漢字で書かれた漢文は、上から順に中国音で読めれば本来。たとえばサンスクリット語で書かれていた「釈尊の教え」を中国へ持ち帰って漢語訳したのが、我々の知っている「お経」。

「お経」は本来の仕来りに則って、漢音で上から順に訓む。だから聴いていても「解らない」。

漢文を日本人にも解るように訓むには、語順を入れ替えながら、「てにをは」を補って訓むしかない。

白文に訓点を施して訓む。

さらに補助的に「仮名」を添えて訓み間違えないようにする。

その場合の「仮名」は字画が単純なのが、場所をとらなくって良い。そこで「万葉仮名」の一部分を用いて代用させた。カタカナの始まりだ。

「草の仮名」から発達した「ひらがな」は主に女性達に愛用され、和歌や物語を記す道具として一人前の地位を築いたのに対して、「カタカナ」は何処までも漢文訓読の補助記号であった。

もともと「カタカナ」の呼称そのものが、「カタ」つまり「不十分」の意味を負っているのだ。赤ん坊の「片言」の「カタ」と同じだ。

明治時代に制定された古い法文(確か「刑法」などそうであったか)が「漢字片仮名混じり文」で表記されていることから、片仮名の方が平仮名より権威あるもののように誤解する向きもあるが、それは間違いで、「漢字片仮名混じり文」中の片仮名は「文字」ではなく漢文訓読上の補助記号と心得るべきものであろう。

因みに日本ではつい最近まで「漢文」が正式だったのだ。たとえばの話、日本の正史とされている「日本書紀」は漢文で書かれているではないか。あるいは江戸時代の俳書などでも序文・跋文は漢文が多い。

ところで「カタカナ」はいわば発音記号である、となると気づくことがある。たとえば「雷鳴」を表す場合、「ごろごろ」より「ゴロゴロ」の方が、実際の音の感じが出る。「ごつん」と殴るより「ゴツン」とやった方が痛そうだ。「あなたを愛してるわ」と手紙に書かれるより「あなたを愛してるワ」と書かれた方が、その娘の顔や口元が想像できる。いわばリアリティーがあるわけだが、それらは結局われわれが「カタカナ」を事柄を象徴する文字というより、音を伝達する「記号」と捉えているからに他ならない。