「傘[karakasa]」vol.3、「手紙」第三通
今回は、年末年始に出版された若手によるミニ雑誌を紹介しておきたい。
「傘(karakasa)」は、「澤」に所属する藤田哲史と、越智友亮の手で一昨年創刊された雑誌。不定期刊ということもあり、かなり間隔が空いた出版だが昨年末に第三号が出版された(今回から、藤田のみの参加)。
特集は「飯田蛇笏」ということで、藤田を含む若手俳人4名がそれぞれの観点で蛇笏を分析している。藤田は蛇笏の習作時代の表現方法から、蛇笏が言葉を探し出す方法について考察している。作家の俳句表現がどのような過程で生まれてくるのか、藤田なりに試行錯誤して推察していく過程が面白い。
若干、蛇笏の早稲田に在学しつついつ境川の家に帰らなければならない、実際に帰って言った運命については触れられていない点が気になったが、他の面々が触れているので特に問題は無いのであろう。
小川楓子は『山廬集』を読み、「袋」というキーワードで蛇笏に迫る面白い評論。若き近現代俳文学者の青木亮人は無難に蛇笏の帰郷についての論をまとめた。家に帰らざるを得なかったからこそ、他の文学ではなく俳句形式に存在する「ものと魂のぶつかり」に帰依したのだという観点は興味深い。生駒大祐は蛇笏と龍太の作風の違いを定量的に分析を試みているが、紙数の関係か若干中途半端な印象である。
藤田哲史の作品8句「風」から
かへりみぬ橅や欅や冷えてゐん
秋の暮風音耳にあらはれぬ
「傘」は一部300円、送料80円。
一方、越智友亮が「傘」を脱退し新たに、生駒大祐、中山奈々とユニット?を起こしたのが「手紙」。その「手紙」も第三通を迎えた。第二通から福田若之が参加しているが、今回は生駒の名が無い。その生駒は今回「傘」に原稿を寄せ、「haiku drie」のインタビューを受けている。流動的で不思議な感じ。これが現代の若手俳人の何事へも「緩やかに」結びついていく、向っていくスタンスを象徴しているのか。偶偶なのかもしれない。
「手紙」という形式で一人ひとりがそれぞれの宛先に向けて、句集や俳句の感想を送る形式。中山は加藤喜代子へ、越智は関根誠子へ、福田は寺山修司宛へ「手紙」を書いている。寺山以外の二名については詳しいことを知らなかったので、今回の「手紙」で勉強になった。
ちょっとライトな感想文という感じもするが、知らない作家の作品を紹介していただけ大変助かる。
巻末に掲載されている三人の作品から
中山奈々「家電」
四面みな家電おでんを食べにけり
越智友亮「横浜」
街は聖夜にヘッドホンをしてひとり
福田若之「美術部室ニテ闇鍋ヲシタル之記」
闇鍋から這い出してくるまだらのひも
「手紙」問合せ先:letter819@gmail.com
〆