文化の日に行われた文化祭で精根尽き果てた泰三です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
夏潮11月号雑詠より。季題は「北窓塞ぐ」。虚子編歳時記には、「冬の寒い北風を防ぐために北側の窓を塞ぐ」と解説される。が、近年、街中ではほとんど見られることはない。
さてこの句。句の内容としては、「湖の近くの宿の北窓が塞いである」というただそれだけである。それでは、この句の何がおもしろいのか。それは、その風景が見えるからである。この宿は、湖やその近辺でとれるものを食材にし、成り立っているのであろう。もちろんリゾートホテルなどとはほど遠く、またペンションいった西洋風の建物でもない。「宿」という呼び名がふさわしい建物である。その建物を厳しい北風が襲うのである。宿屋の主は、毎年同じように北窓を塞いできた。今年もまた当たり前に主は北窓を塞いだだけだ。しかし、都会暮らしの客にとっては、北窓を塞ぐということは当たり前ではない。そのあり様が新鮮に思え目にとまった。そしてその感動ををそのまま一句に仕上げた句であろう。
また、歳時記には「北窓を塞ぎつつある旅の宿 虚子」の例句が上げてある。類想句だとして嫌う人もいるかもしれないが、それぞれの句から私に呼び起こされる景色はは全く異なるものである。
何も言わずに、また何も飾らずに、ただ景色をずばりと一句に仕上げた強さが、この句にはある。