花鳥諷詠心得帖4 一、用意の品 -4- 「歳時記・季寄せ」

大正期に始まった「吟行」という作句法は昭和に入って「武蔵野探勝会」をピークとして、 現在なお「花鳥諷詠」の俳句を作る「場」として最重要なものと言える。 そのことから、「歳時記・季寄せ」はハンディーであることが必須の条件となり、 筆者は現在稲畑汀子編『ホトトギス季寄せ』を愛用している。

これはさきに出版された『ホトトギス新歳時記』の簡略版として編集されたものであり、 『ホトトギス新歳時記』の成立には筆者自身が若干関与したことも、愛着の原因かもしれない。 季題の選定から解説文の内容等、およそ現今行われている歳時記類のなかでは 妥当な一書と考えてはいる。 旧来の虚子編『新歳時記』と併用することで一層の充実も得られる。

虚子は『新歳時記』の序文に「俳句の季題として詩あるものを採り、然らざるものは捨てる。 現在行はれてゐるゐないに不拘、詩として諷詠するに足る季題は入れる。 世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。 語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で作句に不便なものは改め或は捨てる。 選集に入集して居る類の題でも季題として重要でないものは削り、 新題も詩題とするに足るものは採択する。」と記している。

要は季題には「詩」が必要であること、編集は「網羅的」の逆で、季題を「選別し」、 「篩い落とす」ことに意を用いたことを宣言している訳だ。  吟行会、俳句会への携帯には『ホトトギス新歳時記』・『ホトトギス季寄せ』・虚子編『新歳時記』等が 便利だが、一方、家で他人の句集をを読む時などは、やはり「網羅的」に一万も二万もの季題が 収録されているものがあるに越したことはない。

近代における大規模「歳時記」の嚆矢はやはり戦前の改造社版『俳諧歳時記』五冊本。 戦後の大事業としては角川の『図説大歳時記』五冊が現在でも頼りになる。 難点を言えば、出版当時自慢だった「写真」が今となって古びて違和感を感ずること。 人によってはそのレトロな感じを楽しんでいる向きもあるが…。

更に講談社の『日本大歳時記』五冊本も悪くない。 この講談社版は随分普及したものだが、筆者は「座右版」と称する一冊本を便利に使っている。 角川の『ふるさと大歳時記』は書棚に飾ったままで、未だに「うまい使い方」が判らぬままなのは洵に残念。  「歳時記・季寄せ」に眼を晒して季題の本情、季題の詳細に通じる事は花鳥諷詠俳人の必修科目。 しかし「歳時記・季寄せ」は「憲法」では無い。 眼に触れ、「詩」を感じた季節の言葉があったら、「新題」とても試みる柔軟さを忘れずにいたいものだ。