空梅雨の空に平たき雲ばかり  梅岡礼子

 季題は「空梅雨」。虚子は「天候の不順な年は、梅雨のうちに殆ど雨が降らないことがある。これを空梅雨といふ。農家では田植など出来ず非常に困ることがある」と『新歳時記』で解説する。近年ではさまざまの治水技術が向上して、少々の「空梅雨」は何とか実質被害を出さずに乗り切れる場合が少なくないが、江戸時代まではそうもいかず、国を挙げて深刻な事態となっていたに違いない。例えば歌舞伎芝居の「鳴神」の話の背景など、こうした「空梅雨」が背景にあってのもので、雲の絶間姫の真剣さも、万民の憂いあってこそのものと思いたい。

 さて掲出句は、その「空梅雨」という季題を、あっさりと、そして客観的に叙したところに新鮮さがある。毎日毎日、空を見上げると、「雲」はあるものの、どれも軽々と「平たく」、とても雨をもたらすような様子には見えないというのである。ということは、我々は、「黒々と」、天高く立ち上がる「雲」、たとえば「入道雲」のようなものには、「雨」を期待するわけである。そんな対比を言外にこめながら、「空」の景を述べているのである。(本井 英)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください