生きて別れ死して別れて葉月なる  児玉和子

 季題は「葉月」。陰暦八月の異称である。近年の異常な温暖化が惹起するまでは秋の気配がしんみりと浸透する頃おいであった。一句の解釈のポイントは勿論「生きて別れ・死して別れ」。これを一般的な「さまざまの別れ」と解釈しては、やや浅薄な感じすらする。色々な「人」と「生き別れ」、「死に別れ」してととってはつまらないのだ。そこで、たとえば「ある一人の人物と」と設定するとどうなるだろう。ある時代に心を通わせて、肝胆相照らすというような心の交流のあった人物。ところが何かの事情で遠く離れて住まうようになった。それまでのように、ことある度に共に喜び、共に悲しむといったことは叶わなくなった。ところがその後、また長い時が流れて、こたびはその人の訃報がもたらされた。今度はこの世に残された作者と、その人物はまさに「幽明境を異にすることとなった」のである。さてそうなってみると、「生きて別れ」た時には味わうことのなかった、「とことんの別離」を全身で感じることとなった。そんな作者の身を「葉月」の「しん」とした空気が包んでいる。「生きていることと、死ぬること」を否でも応でも思い知らせる一句となった。(本井 英)

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