夏燕数をふやして高く低く   山口佳子

 季題は「夏燕」、といっても『ホトトギス 新歳時記』では、「燕の子」が親見出し。傍題として「親燕」があるばかりである。「夏燕」も傍題としてあって然るべしとは思うが、虚子編『新歳時記』以来、その辺りはあえて緩く扱っている。何故なら「歳時記」はある意味では「目安」、決して「バイブル」ではないからである。近年俳句の世界では何によらず厳密・厳格が流行っているようだが、もう少し「ゆったり」構えた方が文芸としては「楽しい」。

 さて春、南の国から飛来して、わが町を住み処と定めた「燕たち」。梅雨が明ける頃ともなると少々数が増えたようにも思える、というのである。頭で考えれば、当たり前で、燕達はせっせと営巣し子燕を生み、それを二度三度と繰り返す。そこを理屈でなく、実感として、目に映る映像として「数をふやして」と感じたのである。「高く低く」といった表現で実感が裏打ちされている。(本井 英)

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