水に散る一人の影や蜆舟   辻梓渕

 季題は「蜆舟」、「蜆」の傍題である。蜆は極々浅い内海、河川、湖沼などで採る。多くの場合「鋤簾」と呼ばれる道具で、舟の上から海底を探ったり、ときには舟を降りて水中に立ち込んで探ったりする。

 この句の場合は、舟を降りて「鋤簾」を揮っているようである。表現上の一句の眼目は「水に散る」「影」。もちろん「影」の主は「漁師」である。腰ぐらいまで、水に立ち込んだ漁師の姿が「ちりぢり」になって水面に映っている様子を詠んでいるのである。「映る」としないで「散る」とした処に作者の工夫があるのは言うまでもない。

 まるでフランス印象派の絵画のように、水面に散らばった「色の断片」を見るような表現だが、いかにも「一人」の、しかも殆ど音を立てない「漁師」の仕事のあらましが見えてきて、「絵」として好もしい。

 我々の俳句は、なるべくなら地味で落ち着いた表現の奥に、佳き読者のみが洞察できる、ヴィヴィッドな世界が展開しているのが理想だが、たまにはこの句のように、やや派手で、人目を惹く表現も悪くはない。作者の顔が見えるような「自慢げ」な表現ではないからである。(本井 英)

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