平野まで迷ひ出でたる冬の雲 小沢藪柑子

 季題は「冬の雲」。俳句では「春の雲」を柔らかい感じ、「夏の雲」をモクモクと力強い感じ、「秋の雲」をサラッとして軽い感じ、「冬の雲」を沈痛で暗い感じ、として捉える「約束」がある。しかし、必ずしも四季の雲の「実体」が、常にそのようにあるわけでもなく、それらは日本人の感性の中で永い間培われた「らしさ」への安心感とも言える。俳句はその「安心感」の中で詠まれ、享受される場合が多いが、「写生の目」がその「馴れ合い」に意義を申し立てて、現実の「ある姿」を提示し読者の耳目を驚かす場合も少なからずある。この二つの立場はどちらも大切で、片方だけになった瞬間に「俳句」は、その文芸的価値を失う。二つの異なる「生地」をタックしながら縫い合わせて行く作業を「俳句」と呼んでもよいだろう。

 さて掲出句。「平野まで迷ひ出」た雲が、それまで山岳地帯の上空を進んで来たことは、言外に明示されている。その「雲」は前述したような「沈痛で暗い感じ」のそれではない。その点、日本の詩歌の世界が暗黙の了解として共有していた「冬の雲」とは異なる。では現実的ではないか、と言えば、逆である。これほど「現実的」で「ありそう」な景も珍しい。しかも「迷い」の語の持つ、不安定さ、自信の無さは、この景を確かなものにしている。

 つまりは「時雨雲」の実景を詠んだに違いないのである。西高東低の冬型気圧配置の中で、日本海から列島に押し寄せた雲が、脊梁山脈にあたって雪や雨を降らす。遮る山が高い場合は、水分のすべてを雪と雨をして放出した「風」が、太平洋側へ吹き下ろす。例えば関東地方の空っ風である。ところが遮る山が低いと、湿った雲は、だらだらと雨を零しながら南下。京都北山辺りにちょうどよく「時雨」をもたらす。〈翠黛の時雨いよいよ華やかに 素十〉である。雲は随分薄く、衰えているので「日差し」さえ洩らす。

 その「雲」が、京都の南方にさしかかった状態が掲出句である。下五は「時雨雲」であるほうが、判り易いが、敢えて「冬の雲」と、意表を突いたところに作者なりの狙いがあったのであろう。(本井 英)

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