都府楼址より歩き出す遅日かな 山内裕子(2011年7月号)

季題は「遅日」。「日永」の傍題。ほかに「永き日」、「暮遅し」、「暮かぬる」といった言い方もある。春になって日が永くなったことを実感しての季題である。夜が短く、昼が永いという事実から「短夜」といっても同じように思うが、「短夜」は夏になる。このあたりが日本人の感じ方の歴史として面白い。

掲出句「都府楼址」は筑前の国にあった太宰府庁舎の別名。現在も立派に保存されて訪れる者に往時をしのばせてくれる。作者はその「都府楼址」から「歩き出」したというのである。こころみにこの付近の観光地図を拡げてみようならば、歩いて三十分程の距離に観世音寺、戒壇院、天満宮などなどが点在。想像しただけでうきうきしてくる。そして「遅日」という季題から、その出発はどうしても午後のこととなる。春の「日永」を計算に入れて、日暮れまでには、どことどことを廻ることが出来ると胸算用もされている。春の野遊びの気分を満喫しながら歴史に心を遊ばせようというのである。しかも一句の主人公が関東者であったなら事情はさらに興味深くなる。何故なら東京と福岡の経度差は約十度。日没時間にして約四十分程の差が生じている。つまり関東者が春、九州を訪れて感じる「日永」は地元の人々が感じる以上に印象的なのである。(本井英)