月別アーカイブ: 2020年1月

課題句(2020年1月号)

課題句「雪女郎」      松島盛夫 選

雪女郎われを追ひ抜きゆきにけり	藤永貴之
咳ひとつこぼして去りぬ雪女郎

分支れの観音拝む雪女		前田なな
大江山栖としたる雪女		岩本桂子
雪女なりふたのもの緋なりけり		本井 英
窓繰れば立木いづれも雪女郎		菊竹誠二

生きて別れ死して別れて葉月なる  児玉和子

 季題は「葉月」。陰暦八月の異称である。近年の異常な温暖化が惹起するまでは秋の気配がしんみりと浸透する頃おいであった。一句の解釈のポイントは勿論「生きて別れ・死して別れ」。これを一般的な「さまざまの別れ」と解釈しては、やや浅薄な感じすらする。色々な「人」と「生き別れ」、「死に別れ」してととってはつまらないのだ。そこで、たとえば「ある一人の人物と」と設定するとどうなるだろう。ある時代に心を通わせて、肝胆相照らすというような心の交流のあった人物。ところが何かの事情で遠く離れて住まうようになった。それまでのように、ことある度に共に喜び、共に悲しむといったことは叶わなくなった。ところがその後、また長い時が流れて、こたびはその人の訃報がもたらされた。今度はこの世に残された作者と、その人物はまさに「幽明境を異にすることとなった」のである。さてそうなってみると、「生きて別れ」た時には味わうことのなかった、「とことんの別離」を全身で感じることとなった。そんな作者の身を「葉月」の「しん」とした空気が包んでいる。「生きていることと、死ぬること」を否でも応でも思い知らせる一句となった。(本井 英)

雑詠(2020年1月号)

生きて別れ死して別れて葉月なる		児玉和子
駒草の茎の細さの揺れどほし
駒草の濃きも淡きも一ト株に
やんま翔びゆく岩菖蒲すれすれに
お参りの車が触れて萩の花

寒鯉の井桁崩しに重なりて			山口照男
芋虫の縮みて太き箸の先			辻 梓渕
ミュージアムショップにもハロウィンの飾り	冨田いづみ
餅花や萌したる芽もありながら			藤永貴之

課題句(2019年12月号)

課題句「炬燵」       石本美穂 選

炬燵板置いて炬燵のできあがる		田中金太郎
亡き母の炬燵出す日をきめしかな

炬燵楽しポットも本も身ほとりに	児玉和子
今日はまた電話の多き炬燵かな		前北かおる
母在(マ)して炬燵賑やかなりし頃	町田良
炬燵して母の寛ぐこと少な		伊藤八千代

著ぶくれてこぼれおちさうバギーの子   田中金太郎

 季題は「著ぶくれ」。重ね着をして着ぶくれることである。普通には「着る」と書くが、正しい字遣いでは「著る」が相応しく、『虚子編新歳時記』でも『ホトトギス新歳時記』でも「著」の字を用いている。

 「バギー」は本来、オフロード走行可能な自動車を表す語であるが、近年ではやや軽便なベビーカーの一種の意味でも使われ、本句でもそのように使われている。

 いかにも近年の街角で見かけそうな景色として「著ぶくれ」た「子供」の姿が目に浮かぶ。「バギー」の骨組みをなす金属の組み具合、それらに張られたキャンバス地の生地の色合い、そして何よりも、ややその「バギー」の適正年齢をやや超えてしまったような「著ぶくれ」の子供と、もしかしたら、若干「過保護」の傾きの見える(著ぶくれていること自体からも)子供と、その親の姿が目に浮かんでくる。作者は街で「おやおや」と微笑みながら見かけた「子供」の姿をそのまま写生したのであろうが、どこかに軽い批判精神のあることは否めない。(本井 英)