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花鳥諷詠心得帖34 三、表現のいろいろ-9- 「 切字(や 惜春をサンプルに)

「や」のつづき。前回は虚子『五百句』の「や」についてご紹介したが、思った通り、

虚子の句には「や」が少なくなかった。
また「中七」の「や」は明治期に特徴的に多かった。

ところで我々の身の回りではどうか。「惜春」平成十五年十一月号、十二月号、平成十六年一月号を
サンプルに観察してみよう。

初めに風人子主宰近詠。三ヶ月で合計三十六句。
その内「や」を使用した句は十五句。率にして約四十二パーセント。
虚子と比較しても圧倒的に「や」を多く用いられていると言えよう。

主宰の句柄は虚子選「朝日俳壇」で大活躍された頃から、新しい発想と表現で一際輝いておられたし、
現在も相変わらず、思い切った表現をお見せになっておられるが、切字「や」に関して見ると
実は存外オーソドックスな組み立ての句が多いということが言えそうだ。
とくに上五の「や」は三十六句中十句に及ぶ。

次いで筆者「桜山より」の近詠は三ヶ月で合計六十句。
そのうち切字の「や」は三句しか無かった。率にして五パーセント。これは自分ながら意外であった。
他の「切字」は知らず、「や」に関してだけ見れば、まことに少ない、と言える。
次に「雑詠欄」の巻頭以下二十句。
雑詠は風人子選を経ている以上、投句者の傾向だけでなく、プラス選者の判断が加わっていることを、
頭の片隅に置いて考える必要があるが、結果は三ヶ月全六十句中、「や」は七句。率にして十一パーセント。
虚子『五百句』よりやや少な目ながら、程良く「や」で切った句が登場していたことになる。

さて、こうなると再び拙句に「や」の少ないことが問題になりそうだが、考えてみれば筆者は、
昔から「や」の使い方が下手だったようにも思われてくる。
また「や」を使うと「古めかしい」、あるいは「重苦しい」といった印象を持っていた時代も確かにあった。
例えば中七の「や」など『五百句』中でも明治期に多くその後は漸減していることからも想像されるのだが、
上五・中七で「段取り」がしてあって下五で決着を付けるような語法に見えて仕方なかった。

例えば、
老の頬に紅潮すや濁り酒 虚子
といった句などがそれで、季題の「濁り酒」が種明かしみたいに見えた。
従って虚子にそのような句があっても、それはそれで、自分の句とは違うと思っていた。

また上五の「や」についても、昔から随分と「大上段」に構えたような気がして、なかなか作れなかった。
特にその上五が季題の場合には中七・下五が「解説」になってしまいそうで怖かった。

自分の句を俎上に載せて論ずるのはなかなか難しい。

花鳥諷詠心得帖33 三、表現のいろいろ-8- 「切字(や)」

さて具体例を挙げながら「切れ字」について考えてみよう。

そこで材料は、再び『五百句』。
前に触れたかも知れないが、虚子の代表句の多くが収録され、さらに明治期の作品が一二八句、
大正期が一六一句、昭和(十年まで)が二一一句、と大凡バランスがとれていることも、
数値的な比較をし易く、便利である。
ーやー
俳句のことを俗に「やかな」などと言う人も有るくらい代表的な「切れ字」である。
前回も書いたように、古来いろいろな「や」が分析されているが、『五百句』では大きく分けて
三つのパターンに分類出来る。
つまり現れる場所によって、a、上五の「や」。b、中七の「や」。c、その他の「や」。

上五の「や」には、
鶯や文字も知らずに歌心 虚子
春風や闘志いだきて丘に立つ 々
やり羽子や油のやうな京言葉 々
など堂々たる虚子の代表句が多い。
句数は明治期が一五。大正が一二。昭和(十年まで)が一七。
比率的には明治が全体の一二パーセント、大正と昭和がそれぞれ八パーセントで、
若干明治期に多い傾向も見られるが、大きな違いではない。

続いて中七の「や」には、
ほろほろと泣き合ふ尼や山葵漬 虚子
一つ根に離れ浮く葉や春の水 々
炎天の空美しや高野山 々
などの作品が見られるが、各期の句数と頻出度は以下の如くだ。
明治期、二三句、一八パーセント
大正期、一四句、 八パーセント
昭和期、二一句、一〇パーセント
となる。
明治期が突出して多いことが判るし、前出の上五の「や」の傾向と合わせ考えると、
「や」については大正期以後減少傾向にあることが、少なくとも『五百句』中では言えることになりそうだ。

その他の「や」というのは、
美しき人や蚕飼の玉襷    虚子
山吹の雨や双親堂にあり    々
うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 々
の類であるが、数値的には明治期に三句、大正期に三句、昭和期に一句と問題にはならない。
ただし全七句の内六句までが、中七の第三音節が「や」になる点、特徴的で虚子句のリズム感を探る
有力な手がかりになるのかも知れない。
最も代表的な「や」が現代我々の周辺ではどう使われているのか、次回はその辺りも探って見たい。

花鳥諷詠心得帖32 三、表現のいろいろ-7- 切字(芭蕉)

「表現のいろいろ」もいよいよ「切字」。

いよいよと言っても「心得帖」。句会の後の立ち話くらいのつもりでお読み頂きたい。
決して一世一代の「切字論」を展開しようというのでは無い。
まあ何時かはそんな論も立てて見たいが。

ところで「切字」は古く連俳の時代から結構やかましく言われ、「や」「かな」「けり」などがその代表的なもの、
一説に十八とも五十五とも数えられる。
句が「切れる」ところが「切れ」で、その「切れ」を明確に表現している助詞・助動詞の類が「切字」ということだ。
「切れる」という事に着目すれば形容詞や動詞の終止形は「切字」の資格ありという事になる。
前回までの「字余り」の話で「切れる」とか「一塊りになる」と言ったのと共通している部分も少なくなく、
「字余り」が音数律に手を加えることによって実現させていた「切れ」をもっと分かり易く助詞や助動詞で
表してしまおうという表現上のテクニックと考えていいだろう。

古来理論好きな連歌師などが「や」についても「切るや」「中のや」「捨てや」「疑いのや」などなどと
分析していったのに対し、芭蕉はそうした論の為の論を好まなかったと見えて「去来抄」中の
「故実篇」にこう言う。
先師曰く、切字に用ふる時は、四十八字皆切字也。用ひざる時は、一字も切字なし
と也

また「三冊子」中の「白雙紙」では、
切字の事、師のいはく。むかしより用ひ来る文字ども用ゆべし。連俳の書に委しくあ
る事なり。切字なくては、ほ句のすがたにあらず、付句の體也。切字を加はへても
付句のすがたある句あり。誠にきれたる句にあらず。又、切字なくても切るゝ句あり。
その分別、切字の第一也。その位は自然としらざれば知りがたし。

「去来抄」の方はそのままのことで判り易いが「三冊子」の方は若干解説が必要かも知れない。
理解のポイントは「ほ句」と「付句」の区別で、「ほ句」は「発句」、即ち連句の最初の一句。
この「発句」が独立して今の「俳句」になった訳だが、江戸時代には連句の方が俳諧師の表芸で、
芭蕉自身も発句だけなら自分より良い句を作る門弟はいるが、こと連句については
自分は他の追随を全く許さないくらいに優れているのだと自負している。

それに対して「付句」は連句で「発句」以外の句。
三十六句仕立ての「歌仙」なら「発句」以外の三十五句のこと。
古来「発句」には「切字」が無くてはならないし、逆に「付句」には「切字」があってはならないとされていた。
つまり「発句」でも「切字」無しで「切れる」場合がある、と言っているわけで、
結果として「去来抄」と同じ発言ということになる。

花鳥諷詠心得帖31 三、表現のいろいろ-7- 「 字余り(字足らず)」

さて長らくに亘って虚子の「字余り」句を眺めてきた。

『五百句』に限っての資料なので充分語り尽くせたとは思っていない。
しかも虚子の例句だけであってみれば、結局何も見ていないような仕儀となってしまった。
他日を期したい。

ところで「字余り」があるなら「字足らず」もあるはず。
よく初心の方と俳句会をしているとお目にかかる。
所謂「五七五」の調子が身に付かないうちは、それこそ指折り数えなければ、
時に「字足らず」の失敗をしてしまう。
ただし「字足らず」といっても読み方の工夫で「字足らず」にならずに鑑賞出来る場合もある。
たとえば典型的な例が「日短か」だ。

物指で背かくことも日短  虚子(『五百句』)
来るとはや帰り支度や日短   々  (々)
うせものをこだわり探す日短か 々(『六百句』)
探しもの見当らぬまゝ日短 々(『六百五十句』)
これらの下五をそのまま訓むと「ヒミジカ」と四音しかなく、確かに「字足らず」なのだが、
これらを「ヒッ、ミジカ」と訓めば何となく五音あるように聞こえる。
だから、これらの句は俳句の世界では昔から「字余り」には扱わないことにしているのだ。

さらに同じような例を古い友人の西村和子氏が指摘してくれた。即ち、
と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな 虚子

この句も上五をそのまま訓めば「トイイテ」と四音にしかならないが「、トイイテ」と「ト」の前に
空の一拍を入れれば「字余り」のはならない。
これも馴れた読み手に巧みに訓まれたら、気づかぬ人も少なくないと思われる。

ところでこれらを「字足らず」とするかどうか若干躊躇いがのこる。
「日短」にせよ「と言ひて」にせよ、不味い読み手では確かに「字足らず」になってしまうが、
巧みな読み手にかかれば、五七五のリズムのなかに見事に溶け込んで違和感を感じさせない。
耳から聴く「詩」としてはそれで文句はないわけだ。

そこでもう一つ難問。同じ西村氏の指摘だが、
初雷や耳を蔽ふ文使 虚子
この句は『年代順虚子俳句全集』第一巻所収、明治三十二年三月の句。
さらに『喜寿艶』に再録されたので、多くの人の眼に触れているはずなのだが、
「字足らず」との指摘は寡聞にして耳にしなかった。
他に訓み方があるのかもしれない。
しかもこちらの例は前出の二例のように上手い読み手が努力しても、いかにもリズムが悪い。

こんな例はあるものの、「字足らず」は容認出来ないというのが、「字余り」の話の序での結論として置こうか。
「初雷」の句の訓み、御教示頂ければ幸甚。

花鳥諷詠心得帖30 三、表現のいろいろ-6- 「字余り(二カ所以上の字余り)」

「字余り」の話、最後に残ったのは「二カ所以上」の「字余り」。
本来「五七五」の定型律から言えば、「字余り」は特例。
従って「上五」で「字余り」になってしまったら、他の「中七」「下五」ではきっちり定型を遵守すべきところ。
つまり「二カ所以上」の「字余り」は定型に対する態度として不見識の謗りを免れまい。
ところが虚子『五百句』にそれが十七例もある。

虚子の『五百句』が必ずしも昭和十年の段階での「ベスト五百句」というのでもないことは
虚子自身が書いていて、基準を変えれば、別の「五百句」も選び得るのだという。
と言うことは「二カ所字余り」の句なども、傷はありながら、捨てがたい何かを含んだ句と言うことであろう。

既に指摘した通り、この「二カ所字余り」は全て『五百句』中の前半二百句までのもの、
時代的には大正七年までの作品。
さらに言えばその殆どが、大正二年以降、同七年までの作品である。
これは時代的には凡そ「進むべき俳句の道」の執筆時期と重なっている。
そしてこのことは我々にある「暗示」を与える。
「進むべき俳句の道」の主張は一言で言えば「主観の涵養」。
勿論末尾に「客観写生」を忘れてはならないと釘を刺してはいるが、その客観写生も内部に鬱勃たる
「主観」が働いてこそ生き生きとしたものになる。

造化已に忙を極めたるに椄木かな  虚子
「椄木」は春の季題。春になって草は萌え、木々は芽吹き、虫は地中から這いだして、鳥は恋を囀る。
これらは勿論すべて「造化の神」の仕業。
一年中、さまざまに造化の営みはあるものの、この春先ほど目に見えて造化の働きの忙しいことは
ないだろう。
「造化已に忙を極めたるに」はそうした事情を述べたもの。そして季題の「椄木」は
春になって人間がさらに営む自然への働きかけ。
作者は眼前の「椄木」の景から「造化」の運行までを空想して、春の到来を全身で歓び迎えている。
まことに主観的な一句ではあるが、大正期の虚子はここまで言わなければ、気がすまなかったのであろう。

天の川のもとに天智天皇と虚子と 虚子
詞書に「筑前太宰府に至る。同夜都府楼址に佇む。懐古」とある。
この「懐古」は自らの生涯などという短いものでなく、日本の歴史を大きく見渡しての「懐古」であろう。
悠久の銀河のもと、大陸に近く細々と連なる列島の小国が何とか生き延びている事への感懐。
そんな主観的な想いを「天の川」に託して述べている。

「臣虚子」の句形があったり、『五百五十句』の序文で取り消したり、さまざまに話題の多い句ではあるが、
めずらしく主観へ大きく傾斜した句と言えよう。
「二カ所字余り」。
ある時期の虚子の句風を考えると少し納得の行く表現方法ではある。