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祐之 について

「夏潮」運営委員の杉原です。 平成二十二年四月に第一句集『先つぽへ』を出版

原昌平『夏暖炉』鑑賞 (原昇平)

原昌平『夏暖炉』鑑賞 原昇平

原昌平さんに初めてお会いしたのは、1998年の秋、千葉の鎌ヶ谷で梨狩りをした吟行会でのことであったと記憶している。インドに赴任中の同姓同名の先輩がいらっしゃると伺ってから1年半ほどして、ようやく「初代」にお目にかかり、それ以来、句会や吟行会でご一緒させていただいている。

これも「私の記憶では」ということになるが、集中の「田作の互ひ違ひに重なりて」は逗子の本井英先生のご自宅での新年句会の際に出句されたものだったかと思う。その当時、「俳句とはこういう事柄を詠むこともできる文芸なのか」、という感想を持ったことを思い出した。

(いずれも記憶違いだとしたらご容赦いただきたいのだが、)そんなことを考えながら『夏暖炉』を拝読し、印象深い句をいくつか鑑賞させていただいた。

 

夏暖炉会話途切れることもよし 昌平

季題は「夏炉」。本句集名のもとになった一句。避暑に訪れたロッジでは暖炉の火がゆっくりと燃えている。暖炉を囲みながら話題は尽きないが、気づくと会話が途切れていた。しかし、「気まずさ」を感じさせない沈黙というものがあり、そんな夜がある。

 

風鐸を鳴らしそめたる春の風 昌平

季題は「春の風」。仏堂なのか仏塔なのか、訪れた寺院に春の風が吹く。風鈴ではなく風鐸なので、実際には少し強い風なのだろう。しかし、単なる強風ではなく穏やかさが感じられる。それが春の風であり、俳人なのである。夏や秋、冬とは異なる、春に特有の風鐸の音色が聞こえてくる。

 

小春日の日本の空に帰り来し 昌平

季題は「小春日」。帰国便の機内でアナウンスが流れ、航空機が着陸態勢に入りつつあることが知らされる。窓から見える日差しは小春日。「機」や「便」という表現を用いずに詠むことで、一句の印象をやわらかく、穏やかなものにしている。機上から帰国を詠んだ句には「凍月に機首向けにけり帰国便」もあるが、こちらは航空機自体を詠んでおり、「凍月」によって機体のシルエットが夜空に浮かび上がる景が見えてくる。

 

秋の低く啼きゐる島の果て 昌平

季題は「秋の蟬」。訪れた島はさほど大きくはないのであろう。島の人々が暮らす地区を外れ、島を巡ってゆく。ひと気のない、島の「果て」に辿りついてみれば、すでに日は傾きはじめ、そこでは、決して高いとは言えぬ調子で秋の蝉が鳴き続けていた。蝉の声が「低」いのは、あるいは詠み手の心象だったのかもしれない。しかし、声の低さは「秋の蟬」の本意、本情の一つと言えよう。本句集には島が詠み込まれた句が多く収められており、作者の作句における「島」への関心の高さを窺わせる。

 

亀掻けば亀に従ふ春の水 昌平

季題は「春の水」。庭園、あるいは少し広い公園であろうか。池の亀がゆっくりと水を掻く。掻かれた水は波紋を生み、ゆっくりと広がる。水の抵抗などないかのように亀は泳いでいる。上五中七の「亀」の繰り返しに、春の水のゆるやかで素直な動きが感じられる。川では流れがあるので水は「亀に従」わない。

 

 最後になるが、ほかに鑑賞したかった句を記して結びに代えさせていただく。

 

『夏暖炉』抄 (原昇平選)

雨上がる四温の始め兆しつゝ

田作の互ひ違ひに重なりて

絵葉書を書いてゐる妻旅夜長

振り向けばタージ小春の日の中に

新しき家新しき暦掛け

ものの芽の赤みがかつて解けなんと

東京の西の外れの余寒かな

子等の手にかゝり薄氷散りぢりに

ごぼぼともこぽぽとも鳴り春の水

手をつなぐことなく向かふ入学式

(原昇平 記)

第4回黒潮賞・親潮賞「招待席」鑑賞 (杉原 祐之)

第4回黒潮賞・親潮賞「招待席」鑑賞 (杉原 祐之)

 

 恒例の通り1月号に本井英主宰の選による「黒潮賞」「親潮賞」の結果が発表されました。山内裕子さんが「黒潮賞」を、前田ななさんが「親潮賞」を受賞されました。大変おめでとうございます。さすが俳句巧者の20句で楽しませていただきました。

 さて、当HP用原稿として過去3回の黒潮賞受賞者に、第4回の両賞の感想について原稿をお願いしました。そうしたところ、ある方よりご自分たちが出句されている「招待席」について、一切の反応が無く寂しいという指摘を受けました。私に歴代受賞者の方の出句を評する資格はございませんが、勝手に6人の方の作品各5句より数句ずつ鑑賞させて頂きましょう。 

・前北かおる「林檎と秋風」

前北さんは第一回黒潮賞受賞者。能天気とも思える明るい句柄と、前向きな俳句と、確かな写生の融合が独特の世界を形成しています。

透きとほる蜜の黄金や玉林檎 かおる

→季題は「林檎」。前北さんは食べ物の俳句を実に美味しそうに読む巧者ですが、この句も余すことなく最近の林檎の甘いとろとろの様子を描き出しました。黄金とまで言い切ったところが結構だと存じます。

 

梢より鳩を剥がして秋の風 かおる

→季題は「秋の風」。雰囲気のある句の様ですが、「秋風が鳩を剥がす」は面白がりすぎかと思います。

秋風と「剥がす」のミスマッチを狙われたのでしょうか。

 

・藤永貴之「忙中閑」

藤永さんは第二回黒潮賞受賞。福岡での「夏潮」の活動の中心を担って頂いています。静かな態度で季題に向かい、慎重に選ばれた言葉から紡ぎ出される俳句は、夏潮誌上でもつねに輝いております。

春雨の若草山をまのあたり 貴之

→季題は「春雨」。静かな光景です。余計なことを何も言わず眼前の景を淡々と描いた。それでいて余韻の深い俳句になっています。

藤永さんらしい静的かつ知的な視線で対象が描かれています。

 

風が撫で魚が掻き混ぜ水温む 貴之

→季題は「水温む」。春先の物事が動き出す雰囲気を伝えている句ですが、動詞が多すぎて狙いがはっきりしすぎてしまっているかもしれません。

悪いというわけではないのですが、もっと詠い方の可能性があると思いました。

 

・櫻井茂之「屋台より」

櫻井さんは第三回黒潮賞受賞者。鷹の渡りを詠んだ連作は印象的でした。今回は博多中洲名物の屋台を題材にされたようです。

 

あたため酒は月明かり酌むごとく 茂之

→季題は「温め酒」。上五の「あたため酒」というちょっと舌足らずな字余りが、中七下五に続くほのぼのとしたレトロチックな景に対して有効に働いていると思います。

 

注がれて昭和の色の温め酒 茂之

→同じく「温め酒」が題材です。中七の表現が全てでしょうが、読者に「分ってくれ」という感じが強く出すぎてしまっています。5句目ですので、お酒が過ぎてしまい少し甘くなられたのかもしれません。

 

・清水明朗「朝時雨」

清水さんは第一回親潮賞の受賞者。学校の校長先生をなさっていたという温かい人柄から滲み出る写生句は何時も楽しく拝見させて頂いております。

 

新聞の来ぬ日の無聊朝時雨 明朗

→季題は「朝時雨」。引退されて「毎日が週末」のお暮らしなのでしょうか。習慣となっている新聞が来ないある月曜日の朝、そうか今日は新聞休刊日かと思い空を見上げるとぱらぱらと時雨れてきたということです。普段と違う朝の時間の使い方を楽しんでいられる様子が分ります。

 

配達の娘に林檎持たせやり 明朗

→季題は「林檎」。「配達の娘」というのが、具体的にどういう情景なのかわかりませんでした。宅配便の係がお嬢さんだったということでしょうか。林檎を渡すくらいの関係ですから、非常に馴染みのある親戚の娘さんと言うことでしょうか。後者だとすると「配達」がしっくり来ないと思いました。

 

・児玉和子「秋祭」

第二回親潮賞受賞者です。数々の巻頭を飾るなど「夏潮」を代表する俳句巧者であります。また季題や表現について常にストイックに考えるその姿勢は大変勉強になります。

 

秋風の末社拝む女かな 和子

→季題は「秋風」。中七を「末社に拝む」ではなく、そこできっぱり切ったことで景が立ちました。写生の表現が練られた一句です。

 

ドキンちゃんのお面人気や秋祭 和子

→季題は「秋祭」。ドキンちゃんが悪いわけではないですが、和子さんの句ではないと思います。秋祭りのローカル感を表現されるに当り、ドキンちゃんに喰われてしまった感じがします。中七の表現も具象性を欠きます。

 

・田島照子「茅舎の坂」

田島さんは第三回親潮賞受賞者。キリスト教への信仰がその写生の奥から滲んで来ることがあります。今回は大田区池上に残る川端茅舎の旧居を訪うた際の句の連作となっているようです(http://otaku.edo-jidai.com/424.html)。

 

龍子邸出て茅舎居へ露の身を 照子

→季題は「露」。清冽な才能を持ちながら若くして亡くなった茅舎。「露」という言葉がピッたくる俳人です。お年を重ねられたわが身を重ね合わせ感慨に浸っているという句です。茅舎居は「青露庵」と呼ばれています。ゆっくりゆっくりと本門寺周辺の坂道を登られていったのでしょう。

 

とどまれる露一とつぶの静けさよ 照子

→同じく「露」。静かで良い句ですが季題の説明になっている危惧もあります。私のようなものではまだ分りませんでした。また、「一とつぶ」はかなの方が良かったと思います。ちょっと違和感がありました。

 

以上、6名30句から12句を鑑賞させて頂きました。全体としてはさすが結社賞を受賞されていることだけあい、高いレベルで安定しつつ、それぞれの目指す俳句を花鳥諷詠の本道から外れない範囲で表現されていると思いました。何れも奇を衒うことがないしっかりとした俳句ということでしょう。選考会で英主宰が述べられた「丁寧で誠実な写生」が大事であるということを30句から改めて理解することが出来ました。

 また、蛇足ですが今回「紙幅の都合」で親潮賞・応募作の総評が割愛されたのは大変残念でした。編集側と調整して1ページも確保できないものだったのか、雑誌を読んでいて思いました。私のような落選常連者からすると、やはり主宰に一声掛けてもらうことが次回へのモチベーションに繋がるというものだと思います。

勿論、選句をしていただいているので、そこから自ら主宰の言葉を感じることも大切だと思います。何れにせよ自分でテーマを持って挑戦できるということは幸せなことです。落選者については何度でもそのような機会が与えられる、と前向きに解釈して今年も一年間精進して参りたいと存じます。

原三佳句集『赤と青』をクールに読む_(稲垣秀俊)

原三佳句集『赤と青』をクールに読む_(稲垣秀俊)

 

 第零句集参加者には、本井主宰との縁で俳句を始められた方が多いが、原三佳さんは、職場の先輩であった原昌平さんの勧めで結社に入られている。

 

 序文にて前北かおるさんが指摘されているように、本稿の中でまず人目を惹くのは家庭生活の句であり、生活者としての実感と健全さを読み取れる。

           掃き寄せてまた木犀の香るかな

           ついで煮のかぼちや一番人気かな

           ポッケからどんぐり除けて濯ぎもの

家庭についての句の中でも、特にお子さんに関する句が出色であると思う。

   一日で日焼けせし子の話し止まず

   朝顔の赤は妹の青は僕の

   ランドセル開けては閉めて入学子

以上の句が個人の家庭について詠まれたものであるにも拘わらず、他者の共感を得るのは、正確な描写があればこその事である。この描写力の基礎をなすのは、観察眼の公正さに違いない。

 

 無私な観察は、比喩表現を用いるならば不可欠である。比喩は主観の問題であるけれども、対象の特徴を正確に捉えなければ決して力のある句にはなり得ないからである。故に次に挙げる句は、原さんの真摯な観察態度を裏付けるであろう。

           磯ぎんちやく迷惑そうにすぼみたる

           ゆつたりと奏づるごとくスキーヤー

 

 以下は句毎に評を試みる。

   天気図の大きく貼られ登山小屋

本来、天気図は登山者自身で描くものだが、知識のない人や、気象通報の時間までに小屋にたどり着けない人もよくいるのであろう。遭難などされては山小屋もたまらないので、サービスとして天気図を出しているわけである。「大きく貼る」という表現の可否については議論がありそうだが、わざわざ大判の天気図を用意するほどであるから、富士山や表銀座などの人気コースであると考えられる。そうすると、登山小屋の賑わいや、天気図の前で進退を議論するパーティーの姿も自然と見えてくる。

 

   日傘派もサングラス派も交差点

日傘を好む人が、全体として落ち着いたファッションを志向する一方で、サングラスを好む人は活発さを滲ませるファッションを目指す。ゆえに日傘派、サングラス派は自然に峻別されるのだが、大都市の交差点では両者が交錯し、あるいは並び立つことも間々あり、作者はそこに面白さを発見したのである。「○○派」という思い切った表現の手柄である。

第零句集『赤と青』を読んで (前北麻里子)

第零句集『赤と青』を読んで (前北麻里子)

 

「原家に紙上ホームステイ」させていただいたき、ありがとうございました。はつらつとした、太陽のような三佳さん。世界を相手に仕事をこなすスーパーウーマンでありつつ、私にとっては母業先輩。母としての句が印象に残りました。

 

一日で日焼けせし子の話し止まず

保育園の遠足だったのでしょうか。太陽の下、一日遊び通した子供。その止まない話に、愛しい気持ちで耳を傾ける親。子供のころは、大人になってからの感覚よりも、時間を長く感じたような。この子にとっては、本当に長く、充実した一日だったに違いありません。きっと帰りのバスは寝てたんじゃないかな。

 

朝顔の赤は妹の青は僕の

弟妹の誕生を、素直に前向きに受け入れる幼い兄。母初心者の私は涙ぐんじゃいましたよ。その後、やっぱり全部僕の!ってなっているかもしれませんが。

 

春泥をほっぺにつけし笑顔かな

まだまだ肌寒い春先。さすがに水遊びはまだでしょうが、泥が頬に付くほど夢中で外遊びを楽しむ子供。春が来た喜びが、生き生きと伝わります。

 

娘二歳向日葵育つごとくあれ

明るく、強く、真っ直ぐに。二歳になった、夏生まれの幼い我が娘に望むのは、百合でも薔薇でもなく、向日葵らしさ、です。

 

ごきぶりに母とし装ふ平気かな

母は強し、ですが、やせ我慢も。明るい やせ我慢、面白いです。

 

賽銭にどんぐり混ぢる地蔵かな

子供の身近に、お地蔵様があるんですね。

 

笑い初めせむとて皆で笑ひけり

新年の、若い若い、明るい家族の風景。「笑い初め」という言葉自体、子供は初めてなのでは。

 

つなぐ手もつながるゝ手も悴める

小さい子供は、手袋を嫌がったりすぐに落としたりで、だいたい素手。そんな手も自分の手も、同じくらい冷たいと気付く。ふとした小さな発見。

 

ランドセル開けては締めて入学子

今までのものとは全く違う、特別な鞄、ランドセル。ばちん、ばたん、とせわしなく触らずにはいられない姿に、入学前のわくわく・そわそわが見られます。

 

てふ見れば蝶々歌ふ子らであり

しかも、ふわふわ踊っていそうですね。素直に明るく育っていることを目にした嬉しさ。

跋で、「四季は変哲なく巡って季題も又然りですが、その中で確実に育まれるものがあることを、とてもありがたく思います」と、三佳さんが書いています。全くその通りだと思います。『赤と青』は、生きる喜びにあふれた句集だと思いました。

インドでは、どんな俳句が生まれるんでしょうか。どんぐりは、落ちているんだろうか。明るく生き生きした毎日を送られることに、違いはありません。

第4回黒潮賞・親潮賞を読んで。(前北かおる)

第4回黒潮賞・親潮賞を読んで。(前北かおる)

 

 今年は、黒潮賞を山内裕子さんが、親潮賞を前田ななさんが受賞されました。おめでとうございます。今年も、受賞作と第二席、第三席の作品について、感想を書いてみたいと思います。

 

・「宵山」山内裕子

 祇園祭の宵山に取材した連作です。宵山の様子が詳細に写生されています。

  とつぷりと暮れて見えざる鉾の先

高い建物のない京都の路地の夜空がよく見えてきます。「暮れて見えざる」という中七は、無駄なく描写していながら、ゆったりとした調べに仕上げられています。

  タクシーの客の見上げる鉾の空

 タクシーで祭を素通りするお客なのでしょうが、思わず山鉾の立ち上がった空を見上げているのです。晴れやかな街の雰囲気が感じられます。

 「宵山」に絞って句を並べたために、観光客目線の句も混じってしまっているようにも思いました。

  御籤売る子等浴衣着の囃子唄

  帯に差すちまきや鉾に笛を吹き

  金襴の鉾の飾りの灯に映えて

 それぞれ「御籤売る」、「笛を吹き」、「映えて」というところまで言ったせいで、季題が脇に追いやられてしまった印象を受けました。

 

・「旅一日づつ」前田なな

 都府楼と柳川あたりを吟行された句をまとめられたようです。春を謳歌する気持ちに満たされた連作です。

  都府楼の空の広さや凧ひとつ

 「空の広さや」の切れに当日の伸びやかな気分がよく伝わってきますし、それを「凧ひとつ」と言い収められていて格調高い一句になっています。

  咲き急ぎたちまち風の桜かな

 「たちまち風の桜かな」の鮮やかさが、桜吹雪の有様にぴたりと合っています。

 そのほかにも

  ゆつくりと海より霽れて初桜

  身を屈め潜る石橋花の舟

  鰻屋の列また伸びて花の昼

など、徐々に駘蕩としてくる春の気分に乗せられるように味わうことができました。

 

・黒潮賞第二席、第三席

 第二席、青木百舌鳥さんの「オクラ美味」は、凝りすぎた句が多いように思いました。主宰も評されている

  朝蟬や日照雨なりしがさはに降る

  シャツ脱いで汗ツ臭さに放りたり

が良いと思いました。

 第三席、梅岡礼子さんの「耕」は、農村の一年に取材した作品。田畑を中心にしていますが、「早乙女」や「草刈女」、「農夫」という人々が登場したり、「駐在」「茅葺」「土蔵」といった建物、「鶏」「猪」「小鳥」「鷺」などの動物も出て来て、バラエティーに富んでいます。

  鶏小屋の寝静まりたる夜の秋

 九月まで猛暑日が続くような街では感じられないような、夏の終わろうとする夜の静けさが思われます。

  駐在に寺に役場に青田風

  黄を極め赤み帯びたる稲田かな

  市に聞く山の向うの雪のこと

など、それぞれの季節の雰囲気がよくわかります。私は、この作品が一番好きでした。

 

・親潮賞第二席、第三席

 第二席、山口照男さんの「父」は、既に亡くなられたお父さまを追懐する句を含む作品。

  年々に父の裸に似る吾か

 晩年の介護をされた時に見ていた「裸」なのでしょうか。自らの老いを受け入れる心理が描かれています。

  とうしみの畳みし羽のずれかすか

 静かな句ですが、季題を凝視していて凄味があります。

 第三席、山口佳子さんの「上昇気流」は、鷹の渡りを見に行かれた時の作品でしょうか。

  鷹柱上昇気流描きつつ

  松虫草野麦峠は峰続き

の二句が良いと思いました。