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課題句(2016年12月号)

「除夜の鐘」       石本美穂 選

考の年齢越えて他郷の除夜の鐘     吉田朝江
夜気凛と城下町なる除夜の鐘
一打目の響きことさら除夜の鐘     木下典子
除夜の鐘入江の町に寺二つ       田中 香
除夜の鐘百八打目の海に消ゆ      梅岡礼子
まがふなく増上寺なる除夜の鐘     本井 英

ふと夫のゐる気配あり初鏡   根岸美紀子

 季題は「初鏡」、元旦に見る鏡である。「夫のゐる気配」というのであるから、夫は本来は「いない」存在ということであろう。元旦になって「初鏡」に向かう作者。どこか近くに、いるはずのない「夫」の気配を感じたというのである。「初鏡」と女性心理がしっかり詠まれている。

 句評というものは、作者の実生活に立ち入ってはいけないのが原則であるが、この句の場合、筆者には、その「夫」の風貌まで目に見えてきてしまって、言葉に詰まってしまう。たとえば筆者のように大きな声を出して、家中をどしどし歩いているような「がさつな男」の場合は、「気配」などという微妙なものはなく、細君からすれば、やや鬱陶しい位であるが、一方、作者の「ご夫君」は確かに、いつの間にか、ふっと近くに佇んでいるような、静かな人物であった。あらためてご冥福を祈る次第である。作者の亡き夫君への「愛」がしみじみと伝わってくる。 (本井 英)

雑詠(2017年5月)

ふと夫のゐる気配あり初鏡       根岸美紀子
迎春とある本殿を遠拝み
寒晴や機影は銀に光りつつ
翡翠に出会ひしことも女正月

目白どち仲間増やして戻り来し     永田泰三
餅花に残れる指の形かな        原 昇平
寒雀咥へし猫の横切れる        坂 廣子
川に沿ひ線路に沿ひて福詣       近藤作子

小父さんが去り山雀もゐなくなり  児玉和子

 季題は「山雀」。小禽類の例に漏れず秋の季題ということになっている。漂鳥の多くが夏の間山奥深く棲み、秋になると人里近く現れて、人目につきやすくなることから「小鳥来る」の季題が成立、それに伴って個別の「小鳥の名前」のほとんども秋の季題となったものであろう。そして春には「囀」という求愛行動が人々の興味を引き、個別の「鳥の名」は「百千鳥」という不思議な括られ方をする。

 さて「山雀」は人に懐くことでも小禽類中、特異な鳥かもしれない。明治神宮の内苑あたりでも、ポケットから向日葵の種だのピーナッツだのを小出しにして「山雀」の歓心を買っている「小父さん」をよく見かける。山雀たちは、小父さんが掌に置いたピーナッツを咥えては飛び去り、何処かに隠しては、また飛来して「おねだり」する。世間であまり慕われることのなくなった「小父さん」たちにとっては、自分を疑うことなく掌に止まる「山雀」は可愛くて仕方がない。さてしばらく「餌のある限り」は睦み合っていた「山雀」と「小父さん」。餌が無くなって、「小父さん」が立ち去ると、極々自然に「山雀」もあたりから見えなくなったというのである。微笑ましいような、ちょっと悲しいような、不思議な味わいのある一句である。

 虚子に〈山雀のをぢさんが読む古雑誌〉という昭和二十五年の句があるが、こちらは「山雀」がお御籤を引いてくる芸。鎌倉の八幡様の境内に毎日出ていたのを筆者も憶えている。たしかに何時も暇そうにして「古雑誌」など読んでいた。掲出句とはまるで違う世界の句ではあるが「山雀」と「小父さん」という言葉は共通していて、どこか「淋しい」感じも通じている。  (本井 英)

雑詠(2017年4月号)

小父さんが去り山雀もゐなくなり    児玉和子
枯芝を見渡す石の露台かな
綿虫や石の露台に石の椅子
綿虫の細かに震へながら飛ぶ

楮蒸す足助の空に湯気の立ち      大山みち子
一時間半も歩いて狩の宿        小沢藪柑子
エンディングノートなど書き日短か   井上 基
父母と錦市場(ニシキ)の話酢茎食ぶ   冨田いづみ