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滝水のぐうんと伸びて落ちにけり 山本道子

 季題は「滝」。古くは「滝見」といった人事季題として「夏」であったものが、近代になって「滝」だけ独立して季題になったという。「滝」と「水」の関係を無機質的に表現した句としては〈滝の上に水現れて落ちにけり 夜半〉があまりにも有名だが、掲出句も負けず劣らず、「滝」そのものを執拗に写生した賜の句と言える。

 下から滝を仰いでいると、滝口に現れた「水」が、垂れ下がった途端に「ぐうん」と「伸びて」、それまでの「水」の密度とは異なる希薄さを呈しながら下降し、滝の中ほどからは、それが千切れて、さらに細かく破砕されながら滝壺に躍り込む。こうしたプロセスを読者にきちっと提示してくれた一句である。

 写生ということは、我々花鳥諷詠の徒の基本的な態度であるべきで、こうした地道な句作りを忘れてはならないと思う。(本井 英)

雑詠(2018年2月号)

滝水のぐうんと伸びて落ちにけり		山本道子
滝水の伸びて崩れて滝壺へ
朝露を載せて生姜の葉の匂ふ
自然薯(ヤマイモ)の蔓と巻き合ひ灸花

残る蚊に刺されて夜半を目覚めをり	町田 良
秋蝶の袂をひとつ失へる		田中 香
行秋を灯して雨の競馬場		冨田いづみ
今朝の秋わたしスキップしたりして	井出保子					

主宰近詠(2018年2月号)

崖の裾まで   本井 英

朝寒や介護タクシー待たせおき

十三夜もう始まつてをりにけり

 

京都 三句

冬立ちて市バスの色のやさしけれ 冬立つや絵馬にくろぐろ八咫烏 木の葉雨疎水等高線なぞり




京都清風荘 二句
お二階の窓ごとの冬紅葉かな 杣道に似せてしつらへ落葉積む 大根畑防潮堤の外側にも 大根の穴へ土塊こぼれけり 腕なげて鷹匠鷹を放ちけり




小春なる沼のかたちのまかがやき

水鳥の気配や蘆襖をへだて

曳き波が枯蘆を囁かせたる

細枝に細枝に冬桜かな

沖磯の奥宮もなほ神の留守




海桐の実はじけてくすみゆくばかり

酉の市ここの手締めは柝が入り

トンネルを抜けてこちらの冬紅葉

崖の裾まできつちりと冬耕す

大綿の浮いて大人し音もなく

課題句(2018年1月号)

「水仙」 宮川幸雄 選

水仙の凛と咲きたる忠魂碑		山口照男
水仙の矜持を保つ葉の捩れ
 
静もるる連隊跡や水仙花		福田雅子
水仙を挿して信如の何処へやら 	草野 鞠
土曜日の朝のキッチン水仙花		前北かおる
谷戸奥の妻の墓にと水仙を		本井 英

駅過ぎて遠花火また見ゆるかな 田中 香(2018年1月号)

 季題は「花火」。「花火」を大きく二つに分けると、「揚花火」と「手花火」に分けられるが、どちらも盆の送り火の一形態として、華やかな中に一抹の悲しみ、憂いを帯びたものである。

 さて掲出の「遠花火」はもちろん「揚花火」。地平線近い低い空に、「ぽっ、ぽっ」と音も無く湧いては消える。作者が自分の乗っている電車の車窓はるかに「遠花火」の揚がっていることに気付いたのは、どのあたりであったのか。今宵花火大会のある町は、どこどこぐらいの想像をしながら、車窓の「花火」を楽しんでいるうちに、電車はとある駅に滑り込み、当然ながら遠方の景色は閉ざされてしまった。乗客の乗降が思ったより時間がかかりながら、発車のベルとともに車窓は動きだし、先程までと同じような、遠く見渡せる場所まで出て来る。もう見えないのかと思って凝視している車窓に、ふたたび音もなく浮かぶ「遠花火」。なんか得をしたような気分に包まれながらガラス窓に額を付けて外を見ている作者の姿が見えてくる。(本井 英)