映画館出て春雨に濡るゝかな 園部光代 春雨や楽器ケースと花束と 春浅し初めて入る喫茶店 つんつんとクロッカスの芽枯葉中 つぎつぎに臨時便来て大試験 小沢藪柑子 薫風に盲導犬は貌あげて 山口照男 雪塊の割れ口青を宿したる 磯田和子 孕雀の重さうな涙滴形 稲垣秀俊
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主宰近詠(2024年6月号)
礒鵯の唄 本井 英 礒鵯が讃へて花の朝かな 朝桜かなひいやりと咲きつらね 日の色に染められてをる朝桜 手術することを選びて朝桜 訪ひて椿の島の椿餅 若きらが戯れ喰へり椿餅 椿餅猫の温さの膝にあり 東京が近づく花の車窓かな 汐引きし橋杭に貼る花の屑 花房に重さありけり掌でつつみ
捨て積みの蛸壺に蠅生まれつつ 翅華奢に生まれたてなる蠅ならめ 独居の灯ぽつと八十八夜かな 春水がしゆつと小便小僧より 瞳孔をこじ開くる赤赤躑躅 春風や重箱堀に吹きたまり 大鷭も機嫌良からんキョンと啼き 二輪草仕舞ひの日々の雨の今日 枯れ色の添ひつつ貝母潰えつつ 朝毎の礒鵯の唄夏ちかし
句会・吟行会案内(2024年7月)
- 日時/集合:6月2日(日) 11:00 大垣駅改札口
- 吟行地・兼題:大垣
- 句会場:未定 (14:00締切 10句)
- 幹事/連絡先:大山みち子
- 日時/集合:6月5日(水)
- 吟行地・兼題:ジキタリス・辣韮
- 句会場:東京芸術劇場 03-5391-2111 (19:15締切 7句)
- 幹事/連絡先:前北かおる
- 日時/集合:7月3日(水)
- 吟行地・兼題:白靴・背越
- 句会場:東京芸術劇場 03-5391-2111 (19:15締切 7句)
- 幹事/連絡先:
- 日時/集合:6月6日(木)
- 吟行地・兼題:夫婦池公園、鎌倉山ほか
- 句会場:鎌倉教養センター(笛田) 0467-32-1221 (13:30締切 7句)
- 幹事/連絡先:羽重田民江 菅原恵美子
- 日時/集合:6月8日(土)12:00 東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅1a出口
- 吟行地・兼題:江戸川公園〜神田上水取水口〜関口芭蕉庵〜水神神社〜肥後細川庭園
- 句会場:肥後細川庭園内・松聲閣集会室 (15:00締切 7句)
- 幹事/連絡先:宮川幸雄
- 日時/集合:6月13日(木)
- 吟行地・兼題:苺・五月晴
- 句会場:リフレッシュ氷川 2階多目的室C 03-5466-7700 (14:00締切 7句)
- 幹事/連絡先:櫻井耕一 財前伸子
- 日時/集合:6月16日(日)
- 吟行地・兼題:円覚寺・浄智寺界隈
- 句会場:鎌倉生涯学習センター 0467-25-2030 (14:30締切 7句)
- 幹事/連絡先:飯田美恵子 橋本由美子
- 日時/集合:6月20日(木) 13:00 JR上野駅公園口改札前
- 吟行地・兼題:上野
- 句会場:千代田区矢板ビル 03-3255-0471 (15:30締切 5句)
- 幹事/連絡先:林 美佐子
- 日時/集合:6月26日(水)
- 吟行地・兼題:目黒・自然教育園
- 句会場:三洲倶楽部 2階大ホール 品川区 上大崎1-20-27 03-3447-6776 (13:30締切 7句)
- 幹事/連絡先:田中温子 武居玲子
- 日時/集合:
- 吟行地・兼題:
- 句会場:
- 幹事/連絡先:藤永貴之
課題句(2024年5月号)
課題句「夏場所」 木代爽丘 選 高櫓仕立ていよいよ五月場所 柳沢晶子 櫓太鼓大川超えて夏空へ 夏場所や呼び出し吾郎も幟旗 久保北風子 夏場所の両国駅ぞ古るびたる 本井 英 呼出しの声夏場所の初日かな 牧野伴枝 夏場所や高く四股踏む朝稽古 大山みち子
本土より四国山地や初明り 梅岡礼子
季題は「初明り」。「元旦、東天の曙光である」と「歳時記」は解説する。「曙光」は『広辞苑』では「①夜明けのひかり。暁光。②暗黒の中にわずかにあらわれはじめる明るいきざし」と記す。因みに『新明解国語辞典』では「まっくらな中に見え始める、夜明けの光」とあり、東の天空には、既に「明るさ」が漂い始めていながら、地上には未だ「闇」が蟠っている状態であることが判る。季題「初明り」については、筆者も従来「初日の出」と大して変わらないような印象を持っていたが、大いに間違っていた。つまり作者は闇の中に佇立しながら遙か彼方、暗黒の「四国山地」を望みつつ、天空に兆し始めた曙光に心奪われているという状態なのである。さてこの句の問題は「本土」なる措辞。これも辞書的には「植民地と違って、その国の産業・経済・行政上の中心となる国土」の謂となり、我々の脳内には「本土決戦」とか「本土復帰」といった言葉が交錯する。即ち「四国」は立派に「本土」そのものであり、「本土より」眺められるべき存在ではない。それを言うなら「本州」(日本列島中、最大の島としての)より、とすべきところである。ある意味では明らかな言葉の「誤用」がある訳で本来なら鑑賞の対象たり得ない句、ということになる。しかし、どこかこの句が筆者を惹きつけた。それは何故か。それは「四国」という地方に対する、なんとなく抱く印象に「本州」とは何か根本的に異なるものを感じているからに違いない。それは現代に於いてというより、日本の「古代」に於ける地域感覚を想像しているからかも知れない。四国と言っても瀬戸内海に面した地域は、九州と大和とを結ぶメインルートとして、如何にも「開かれた」感じを漂わせているのだが、その南に聳える「四国山地」から土佐にかけての地域には文化的にも大きな「隔たり」を筆者は感じてしまう。古代の日本を考える場合、現在のような「北」を上にする日本地図は不向きで、むしろ「南」を上にする地図の方が、「大陸」との相対関係が判り易い。つまり「山陰地方」は大陸に向いた「玄関」側、そして「四国山地」の南方は、「奥のまた奥」となる。そんな「古代人」のような感性をもってこの句を再読してみると、「本土」と「本州」の誤用も含めて、「ある感じ」を伝えてくれる。しかも「初日」ではなく「初明り」であることにも摩訶不思議な、何か恐ろしい「未知」のようなものまで感じることが出来る。語句の誤用を許容して良いかどうかの問題は、一旦脇に置いて、気になる句であったし、ともかく「景」が見えた。(本井 英)