このところ、主宰近詠を始めとして、月次の更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。
4月以降の記事をまとめて更新しました。実は6月からイラクのバグダードというところに赴任したこともあり、ちょっと遅れてしまいましたが、これからは「花鳥諷詠ドリル」も含め、できるだけ定期的に更新してまいります。
インターネットの時代、世界中どこにいても編集作業が出来るのはありがたいことです。
棗椰子たわわ真青の空高く
(昌平)
このところ、主宰近詠を始めとして、月次の更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。
4月以降の記事をまとめて更新しました。実は6月からイラクのバグダードというところに赴任したこともあり、ちょっと遅れてしまいましたが、これからは「花鳥諷詠ドリル」も含め、できるだけ定期的に更新してまいります。
インターネットの時代、世界中どこにいても編集作業が出来るのはありがたいことです。
棗椰子たわわ真青の空高く
(昌平)
課題句「八月」 梅岡礼子 選 人生に八月があり戦時あり 岩本 桂子 八月の寺訪ふことにはじまりぬ 八月や軒深々と人住める 藤永 貴之 八月の朝の光に黙禱す 飯田美恵子 八月の空に最後のライトフライ 櫻井 茂之 八月や六日九日十五日 馬場 紘二
ホスピスの人となりたる春の宵 都築 華 ホスピスのチャペルの脇に黄水仙 春灯の点されホスピスコンサート ホスピスの春のともしび滲みゐる 白皮のこしあんがよし柏餅 故根岸凌雲 一湾を押し上げてゐる新樹山 前田なな 筍や駐車場より入る山 岩本桂子 蝌蚪の尾のふるへ細波なせりけり 町田 良
季題は「春の宵」。「春宵一刻・値千金/花に清香有り・月に陰有り/歌管楼台・声細細/鞦韆院落・夜沈沈」は蘇軾の詩。春の宵は人といて賑やかなのも楽しいが、その後一人になって閑けさを楽しむのも悪くない。
そんな本来なら、うきうきするような「春の宵」にある人物が「ホスピスの人」となった、というのである。「作者本人が」という解釈も文法的には可能だが、「ホスピス」という言葉の重さを考えると、その場合はもっと違う表現になろう。「ホスピス」は病院には違いないのだが、病状回復のための積極的な治療は施さず、痛みを和らげることに専心する医療。ことに「末期癌」の患者には有効だし、筆者の前の細君も死の直前一ヵ月ほどを「ホスピス」に入って、充実した時間を過ごさせていただいた。こう説明すると「ホスピスの人となる」の表現に託した作者の万感の思いがよくお判りいただけると思う。「その人」が「秋の夜」を迎えることは、おそらく無いのであろう。
ところで「宵」という言葉は、正確な意味と豊かな情緒を伴った素晴らしい日本語であるが、近年天気予報などでは「宵」という言葉の代わりに「夜のはじめ」という、舌足らずな言い方を始めている。関係する方々に対して「失望」を超えた「怒り」を覚える。何とかならないものか。(本井 英)
なるべくなれり 本井 英
メーデーの列を離れる一家族 ビヤホールの卓にメーデー崩れかな 鐘楼の肩の高さの大手毬 膝に虻浄土庭園見て座せば 亡き妻の母を見舞ひて母の日は
麦の穂や音無く過ぐる熱気球 小魚のやうに日を受け竹落葉 竹の皮もんどりうつて脱げにけり まくなぎを払ふ身ぶりの彼方かな 雨安居となるべくなれり雲走り
どの枇杷も色得ることを冀ふ 漕ぎ入れんかな浮巣などあるべけれ 雲居にはスカイツリーも沼の夏 舟虫のをらずやをりぬいや小さし 小判草御用提灯掲げたる
立ち寄りてくれし姪つ娘更衣 眦の汗やすつぴん美しき 椎若葉老いの華やぎとはかくや 蟻の道仲良しなどはをらぬらし 下の田へ田植濁りの零れけり