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サイト更新(管理人)

 このところ、主宰近詠を始めとして、月次の更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。

 4月以降の記事をまとめて更新しました。実は6月からイラクのバグダードというところに赴任したこともあり、ちょっと遅れてしまいましたが、これからは「花鳥諷詠ドリル」も含め、できるだけ定期的に更新してまいります。

 インターネットの時代、世界中どこにいても編集作業が出来るのはありがたいことです。

棗椰子たわわ真青の空高く

(昌平)

課題句(2013年8月号)

課題句「八月」    梅岡礼子 選

人生に八月があり戦時あり		岩本 桂子
八月の寺訪ふことにはじまりぬ

八月や軒深々と人住める		藤永 貴之
八月の朝の光に黙禱す		飯田美恵子
八月の空に最後のライトフライ	櫻井 茂之
八月や六日九日十五日		馬場 紘二

雑詠(2013年8月号)

ホスピスの人となりたる春の宵		都築 華
ホスピスのチャペルの脇に黄水仙
春灯の点されホスピスコンサート
ホスピスの春のともしび滲みゐる

白皮のこしあんがよし柏餅		根岸凌雲
一湾を押し上げてゐる新樹山		前田なな
筍や駐車場より入る山		岩本桂子
蝌蚪の尾のふるへ細波なせりけり	町田 良

ホスピスの人となりたる春の宵 都築 華(2013年8月号)

 季題は「春の宵」。「春宵一刻・値千金/花に清香有り・月に陰有り/歌管楼台・声細細/鞦韆院落・夜沈沈」は蘇軾の詩。春の宵は人といて賑やかなのも楽しいが、その後一人になって閑けさを楽しむのも悪くない。

 そんな本来なら、うきうきするような「春の宵」にある人物が「ホスピスの人」となった、というのである。「作者本人が」という解釈も文法的には可能だが、「ホスピス」という言葉の重さを考えると、その場合はもっと違う表現になろう。「ホスピス」は病院には違いないのだが、病状回復のための積極的な治療は施さず、痛みを和らげることに専心する医療。ことに「末期癌」の患者には有効だし、筆者の前の細君も死の直前一ヵ月ほどを「ホスピス」に入って、充実した時間を過ごさせていただいた。こう説明すると「ホスピスの人となる」の表現に託した作者の万感の思いがよくお判りいただけると思う。「その人」が「秋の夜」を迎えることは、おそらく無いのであろう。

 ところで「宵」という言葉は、正確な意味と豊かな情緒を伴った素晴らしい日本語であるが、近年天気予報などでは「宵」という言葉の代わりに「夜のはじめ」という、舌足らずな言い方を始めている。関係する方々に対して「失望」を超えた「怒り」を覚える。何とかならないものか。(本井 英)

主宰近詠(2013年8月号)


なるべくなれり   本井 英

メーデーの列を離れる一 家族

ビヤホールの卓にメーデー崩れかな

鐘楼の肩の高さの大手毬

膝に虻浄土庭園見て座せば

亡き妻の母を見舞ひて母の日は



麦の穂や音無く過ぐる熱気球

小魚のやうに日を受け竹落葉

竹の皮もんどりうつて脱げにけり

まくなぎを払ふ身ぶりの彼方かな

雨安居となるべくなれり雲走り



どの枇杷も色得ることを冀ふ

漕ぎ入れんかな浮巣などあるべけれ

雲居にはスカイツリーも沼の夏

舟虫のをらずやをりぬいや小さし

小判草御用提灯掲げたる



立ち寄りてくれし姪つ娘更衣

眦の汗やすつぴん美しき

椎若葉老いの華やぎとはかくや

蟻の道仲良しなどはをらぬらし

下の田へ田植濁りの零れけり