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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第47回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)

一面の銀杏落葉の海の中

 「海の中」がいいですね。つまり暗喩なんですね。如しと言わないで、銀杏落葉の海だと言い切ってしまっている。そこに力強さがあって、どこまでも明るい。僕は銀杏落葉は舞台のフットライトを浴びているような感じがよくするんですけれど、他の木と違って、湿っているもんですから、遠くへ飛ばない。歩いていても、音がしないでしょう。その明るさと、その平坦に散り敷いているところを、海と捉えたところがなかなかよい。

うち揃ひいざ快晴の紅葉山

 これ、面白いですね。紅葉狩りということなんですが、もともと観桜、観楓というのが日本人の中世以降の二大楽しみなんですが、その観楓、普通は行厨を持って行くんですが、この「いざ」というと、いかにも歩け歩けおじいさんみたいな感じで、「さー、いくぞ。」出欠を取って、全員揃いましたから行きましょうというような感じでしたね。

音も無く山茶花の散る日暮かな

これはいい句でした。地味な句だけれども、いかにも山茶花の感じです。椿ではないんです。椿だとぽとっといってしまうんですが、山茶花は一枚一枚しかもだらしなく散る。そのだらしない散り方が山茶花で、よくご覧になったなと思って、この句は感心しました。

参道の茶店の脇に大根畑

 あまり流行ってないお宮さんなんでしょうね。むかしはなかなか立派だったんで、今は落ちぶれて参道に茶店がちょっとあるような、大根畑になっている。昔は殷賑を極めた神様なのかもしれません。神様にも流行すたりがあるわけで、今はすたった状態になっておる。

旅にありてふと目覚めたる夜寒かな

 元の句、「旅にありふと(後略)」。「旅にありて」と、字余りになさった方が、夜寒の気分が出ると思います。「旅にあり(後略)」だと、リズムがよすぎて、夜寒の気分が出てこない。