花鳥諷詠心得帖27 三、表現のいろいろ-3- 「 字余り(二物衝撃)」

「上五」字余りの続き。前回の「て」と同様、結果として「上五」と「中七」でひと塊となって、
「下五」を際だたせ、「二物衝撃」という典型的な俳句表現に収まる例。

蒲団かたぐ人も乗せたり渡舟 虚子
老の頬に紅潮すや濁り酒 々
簗見廻つて口笛吹くや高嶺晴  々
船に乗れば陸情あり暮の秋   々
人形まだ生きて動かず傀儡師  々
慟哭せしは昔となりぬ明治節 々
神にませばまこと美はし那智の滝 々

これらは「中七」の末尾が「乗せたり」「潮すや」「吹くや」「あり」「動かず」「なりぬ」「美はし」と、
いずれも「切れ字」あるいは「終止形」で鋭く「切れ」ているところが注目点で、
「上五」「中七」が大きく一塊りとして捉えられていながら、さらに「下五」が「渡舟」「濁り酒」「高嶺晴」
「暮の秋」「傀儡師」「明治節」「那智の滝」と一単語の体言であることで「二物衝撃」が際だつ。

「字余り」の部分が「膠」のような働きをして言葉を寄せ集め、重量のある塊としておいて、
もう一つの塊と「ぶつけて」印象を濃くしているのだ。

ということは当然、「上五」対「中七」・「下五」という組み合わせもあるはず。
怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜   虚子
此秋風のもて来る雪を思ひけり 々
清水のめば汗軽ろらかになりにけり 々
夜学すすむ教師の声の低きまま 々

これらはその例と言っていいだろう。「上五」の字余りで、印象的な言葉をまず投げかけておいて、
ややポーズがあって後に「その言葉」に見合う重さの内容を持った「中七」・「下五」が連なる形だ。
こうして見てくると俳句にとって「切れ」と「つながり」が如何に重要か見えてくる。

次に「中七」の字余りの話。
個人的な好みから言うと、筆者は「中七」の字余りを好まない。
実は『五百句』に十六句もその例のあったことは少なからざるショックでもあった。
しかし次の六句についてはすぐに納得がいった。

そこで次回までのクイズ。以下の六句の「中七」字余りは如何なる効果を一句に与えているか?
御車に牛かくる空やほととぎす 虚子
此墓に系図はじまるや拝みけり 々
蜻蛉は亡くなり終んぬ鶏頭花 々
山吹に来り去りし鳥や青かつし 々
唯一人船繋ぐ人や月見草 々
此村を出でばやと思ふ畦を焼く 々
(つづく)