寒晴の空へ空へと何か絮 田中温子(2015年5月号)

 「寒晴」は寒中の晴天の意。虚子編『新歳時記』にもホトトギス編『新歳時記』にも「寒晴」という季題は立項されていない。さらに角川版『図説大歳時記』、講談社版『大歳時記』も同様である。そして近年刊行された『角川 俳句大歳時記』(二〇〇六年刊)に至って、「寒日和」という傍題を伴って立項された。解説文中、藺草慶子さんは「季題として定着したのは飯島晴子の句による」という。つまり〈寒晴やあはれ舞妓の背の高き〉によって世間に認められたというのである。目立たないながら「新季題」ということであるが、どちらかと言えば関東地方でこその感もある。それにしても、では何故今まで季題としてみとめられなかったのであろう。私はそちらのほうが気にかかる。

 さて掲出句。「寒中」の「晴天」らしいという意味では飯島さんの句より本格的であると思う。冬の最後に、まるで冬の仕上げのように冷え込む約三十日。雪国以外ではからからに乾燥し、さまざまの植物の「絮」がますます軽くなって空へ旅立つ。真っ青な、深さの知れぬ大空へ、白々と「絮」が舞う。「何か絮」、何の絮かは判然しないが、ともかく「絮」には違いないのである。(本井 英)