季題は「夏燕」。ところが『ホトトギス新歳時記』には「夏燕」は無く、「燕の子」の項に「子燕」、「親燕」が傍題として登録されているばかりである。しかし子育てにかいがいしく空を飛び回る姿は、やはり「親燕」だけでなく、「夏燕」とも言いたい。
「船」は「もう、海をわたらない」と言うのであるから、かつては「海をわたった船」であることが判る。ところで「漁船」は海を渡らない。「漁船」は海で漁をする。海を渡るのは「客船」。「貨物船」も海は渡るが、あれは「運ぶ」のが主である。つまり、一句の景色を占めているのは大型の「客船」ということになる。退役をした客船が、レストランとか観光拠点とかになって、係留されている。その船体の空をしきりに「夏燕」が舞っているのである。
その燕たちも程なく、海を渡る長途の旅に出る。仰ぎ見ている作者の心の中に「旅」への憧れが育っていく。 (本井 英)