花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第76回 (平成18年4月4日 席題 残花・朝寝)

喧嘩して口はへの字の入学児
もちろん大学とは申しません。小学校の子ですね。早くも喧嘩してしまって、ウーンと言いながら、お母さんに駄目だと言われながら、式に出ている小学一年生。さあさあ幼稚園でも喧嘩早かったけれど、これから新しい小学校、どうだろう。でもきっとだんだんに育っていくんだろう。元気のいいのはいいことだ。といったような、親の安心感とそういう親の安心感とは関係なしに、我が物顔の子供の顔はよく見えてくると思いますね。
寒さゆゑ残花長引く今年かな
素直にお詠みになって、これでいいと思いますね。若干、「寒さゆゑ」というあたり、説明くさいとお思いになった方もあるかもしれませんけれども、「今年かな」というところで、救われていると思います。なるほど言われてみれば、今年はそうだったし、そういう年があることもありますね。
幽明をたゆたふごとく桜散る
これもいい句ですね。何か桜の満開の下に死体が埋まっていたりするんですが、桜というのはどうも死の匂いがするところがあります。実際に桜と死というのは近いんですけれども。「幽明をたゆたふごとく」というのは、句の表面としては、明るいところと、暗いところを辿って散っていくところを詠みながら、実はあの世とこの世、幽明境を異にすると言いますけれども、あの世をあぶり出してくるような句で、実際の景でありながら、その背景にある「死」といったようなものが、私にはどうしても見えてしまうんですね。深い句だと思いました。
大銀杏うぶ毛のごとき芽吹きかな
これも素直な句で、なるほど大銀杏だけども芽吹きの瞬間は、うぶ毛のふっと生えたような、もうちょっと経つと、生意気に出てきた葉っぱが、銀杏の形をしている。そこが面白いところなんですが、その直前の形です。
耕耘機唸りをあげてバス通り
バス通りなんて、もう死語かもしれません。昔は「バス通り裏」なんて、テレビ番組があって、表側の通りがバス通り、その裏が裏通り、その間に横丁があってと、そんなカテゴリーに分かれていたんですが、この句はアスファルト舗装をした路線バスの通る道、そこをたまたま耕しに行く耕耘機が通っている。耕耘機はスピードが出ませんから、一生懸命最大のフルスロットにしても、他の車の邪魔になる。そんな一生懸命フルスロットにして、うーんと唸りながら、見た目にはたらたら走っている。田んぼに行けば、活躍する耕耘機ですけれど、バス通りでは、かわいそうな位、周りが迷惑になる。そんなものを、感情を入れずに詠んでいるところが、この句の俳人としての抑制が効いていて、いいと思いますね。

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