「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.7」矢沢六平『天高し』~黙しざらざら~
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「夏潮第零句集シリーズ」の第2巻第7号は、矢沢六平さんの『天高し』。
矢沢六平さんは昭和三十七年東京都新宿区生まれ。慶応義塾志木高校在学中に本井英に出会い師事、俳句の世界に入る。その後、出版社勤務、フリーランスの編集業などさまざまな職歴を経て、ルーツである信州諏訪に移住。現地で御柱祭に参加されるなど諏訪にどっぷり浸かられている。
元から独特の鋭い感性をお持ちだが、その土地に住む人々の暮らしを季題を通じて切取る、ただ鋭く切取るのではなく深く広く切取られる、切取るというより耕して土を掘り起こすような句を詠まれる。地に足の着いた腰の重いどっしりとした俳句をこれからも見せていただきたい。
磐よけて小道ありけり枯木立 六平
→季題は「枯木立」。「磐」である、「岩」ではない。何かの鎮守の山なのであろうか。枯木立の中に細い小道があるが、その道は磐で塞がれているのである。もちろん必要なときは人が動かせる程度の「磐」なのであろうが、「磐」をわざわざ置いた人と理由があるわけで、宗教的な何かのいわれがあるのではないかと想像させられる。神寂びた枯木立の雰囲気が伝わってくる。
大鎌を腰だめで振る大夏野 六平
→季題は「夏野」。ご本人のことではないかと思う。汗を掻きながら一振り一振り夏野の草を買っていく。大夏野といってもカナダの大夏野ではない。カナダの大夏野であれば鎌を振ることなどせず、力づくで機械で草を刈ってしまう。鎌を振って草を刈ることが出来る程度の日本の信州の大夏野である。日本の夏は蒸し暑い。何故この人はこんなことをしているのか?色色と連想が広がる佳句である。
田の神に御柱四本草紅葉 六平
→季題は「草紅葉」。里の神社に御柱の小さなもの四本が祭ってある。そこの足元は早くも草紅葉しており収穫の季節が近いことを感じさせる。神社から見晴らすことが出来るであろう信州諏訪平野の田圃の様子が目に浮ぶ。
六平さんは実にさまざまなタイプの俳句を詠むことができる。収穫の秋の季節が近づいてきたのではないか。早期の第一句集の刊行を期待して止まない。
その他、印をつけた句を以下に紹介したい。
銅像に人だかりして秋高し
大焚火煙草喫ふ者腕組む者
電線の長さのままに雪落ち来
飛魚のはなはだ遠く飛ぶもあり
ちりぢりに分かれて昼寝宿の者
夜濯ぎや湯宿の裏に寮ありて
梶の葉や二行で記す願ひ事
秋桜や明日まで臨時駐車場
夕暮を案山子担ひて帰りけり
石積みの上にぽっかり刈田かな
藁塚にまだ新しき革財布
(杉原 祐之記)
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矢沢六平さんにインタビューをしました。
Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句
A:飛魚のはなはだ遠く飛ぶもあり
渾身というより、今日現在、一番気になっている句です。
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Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。
A:掲句のような、一見無内容に見えて、確かに何も内容が無いのだが、
何か手触りのようなものがある句。
もしこの句が、俳句表現の(数ある)成功例のうちの一つたりうるのだ
としたら、今後こうした句を(総てではないにしろ)多く作ってみたい気
がいたします。
それを作るのに必要な道具が「写生」であり、使い方のコツが「客観」
なのであろう。薄々そう考えております。
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Q3:100句まとめた感想を一句で。
A:裏山に緑あるとき雪あるとき飼犬つれて行くが楽しき