門松を立てて無人の漁協かな 茂之 (泰三)

  季題は、「門松」で新年。正月の景色であろう、普段は荒々しい男達が働いている漁協がしんと静まりかえっている。その静寂の中、門松だけが立っている。門松には、今年も大量であること、何よりも漁が守られるようにといった祈りが込められていよう。誠に静で目出度い景色である。

 余談であるが、この句は、昨年末の福岡100句祭の際、「門松」の題詠の際に、出された句。門松と言えば、家屋の門前の物ばかりを想像しがちであるが、門松から漁協への転回が面白い。

 

 

門松を立てて無人の漁協かな 茂之 (泰三)」への3件のフィードバック

  1. 祐之
    興味深い光景です。ただしこの句の場合の下五の「漁協かな」は本当にコレでよいのか。 我々の読み方では往々として出てくるパターンであります。 突き放しすぎと言うか、情景に頼りすぎではないかと疑問を持つことも必要であろうと思います。
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  2. taizo 投稿作成者
    なるほど。「先っぽへ」に対して、ある俳人から批判された「安易に『かな』を使いすぎている」ということに繋がる話でしょうか。
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  3. mozu
    現場を知らないので、「「漁協」もいろいろあるよね」(※現時点でも将来的にも。) の意味かと思って見てました。 その意味では、句を構成する各語の概念の寿命はそれぞれってことでワリキるしかないのかなと。 とまれ「漁協」の語の共通イメージの寿命はアヤシイと、そんな意味かと傍観していました。 「個人的な話」なら「別件」ですね。 「かな」は、この句では各読者に想像させる余地と見ましたが、‥‥違いましたか? 僕は勝手ながらいきつけの伊豆方面の漁協のイメージで鑑賞して、 「ああ‥、そんな感じだよね」と思いました。
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