花鳥諷詠心得帖7 一、用意の品 -7- 「服装」

「用意の品」の範疇に入るかどうか疑問もあるが、今回は「服装」。柔剣道やその他のスポーツのように、「でなければならぬ」といった服装は俳句には無い。特に俳句会での服装に基準があるわけではないが、「吟行会」となると留意点がないでもない。

まず本人にとって動き易い服装を心がけること。例えば筆者は、吟行へはジーンズを穿いて行くことが多い。ジーンズについては、未だに若干世代間の感覚のズレがあるかも知れないが、ともかく丈夫で少々の汚れの気にならない点が有難い。

吟行当日、心惹かれる「季題」に出会えれば、つまりその日の自分の心の代弁者である「季題」を見つけることが出来れば、その日はきっと「佳い句」を授かる。「ああ、これ!」と思わず口ずさむ「季題」に出会えたら、その日の吟行はもう八十パーセント以上成功と言える。その時こそ「じっと季題を凝視し」、さらに「深く季題を案じる」のが花鳥諷詠のやり方だ。「季題」の前に佇む、屈み込む、近くの石にでも腰掛ける、地べたに座り込む。

こんなプロセスを想定すると、例えばジーンズのような服装は全く抵抗感なく「座り込める」。お尻が泥で汚れたら、ぱたぱた叩けば済む。汚れが取れなくても、家に帰って洗濯機に放り込めばそれで済む。

一寸「小綺麗」な格好で吟行会に行った場合。折角絶好の「季題」に出会えたのに、立ち草臥れて、かといって座り込んで汚れたら困るから、結局「季題」を責め切れずに、適当な処で妥協して「凝視」を中断してしまう。そうなると後は、見えていた材料を適当に組み合わせて、それらしい気分の一句に纏めあげることになり兼ねない。「季題」のコア(中心)にある「何か」を掴み損なっているから、雰囲気の捏造で終わってしまう。

例えばの話しでジーンズを採りあげたが、詰まるところ「吟行会」の目的は「社交」ではないのだ。したがって服装も、社会的に最低限のマナーが守れていれば十分。お洒落れである必要は全くない。

それから靴。靴についても、履きやすくて、汚れても平気で、少々の山道や草むらの気にならない物が相応しいのは当然だ。近年は割合「お年格好」の方の中にもスニーカーを愛用されているのをお見かけするが結構なことだと思う。軽くて歩き易い点では最高だ。

一方、頑として自分流の「服装」で吟行会に臨まれる方もおられ、是は是で尊敬に値する。
例えば虚子がそうであったように「和装」を崩さない方々。傍目にはやや不便そうに見えても、慣れてしまえば全く問題は無いらしい。

本「心得帖」はあくまでも一般論。ご参考になればと書きすさんでいるに過ぎない。