季題は「冬ざれ」。『ホトトギス新歳時記』には「草木も枯れ果て、天地の荒んで物寂しい冬の景色をいう」と解説する。似た季題に「冬枯」、「霜枯」などがあるが、「枯れる」という具体的な現象より、「荒ぶ」といった、やや心理的なニュアンスが強い季題と言えるかもしれない。作者が「ある森」を散策しているというと、森の中の木々は枯れ尽くし「取り付くしまもない」という荒涼たる姿であった。さらに奥へと歩みを進めると程なく「森」を出外れそうになる。「おやおや、もっと深い森であったと記憶しているが、存外に狭かった」と感じているのである。「夏」の木々が生い茂る有様を記憶に持っていた作者にはやや「物足りない」気分も湧いたのであろう。その少し期待外れであった心の状態が、不思議な「リズム感」に表れている。中七・下五の「もりもつと、ふか」「かつたはず」の訓みには、どこか小気味好さまで感じてしまう。(本井 英)
冬ざれの森もつと深かつたはず 小沢藪柑子
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