押野裕句集『雲の座』ふらんす堂
押野裕さんの第一句集。ふらんす堂の「精鋭俳句叢書」として刊行。
押野さんは1967年神奈川県小田原市生まれ。平成7年に小沢實氏に師事し、「鷹」に入会。その後「澤」創刊に参加。平成15年に「澤」新人賞を受賞。17年~20年にかけて「澤」編集長を勤められる。小沢實氏の暖かい「序文」を読むと、氏は創刊以来小澤氏の貴重な右腕として活躍されていたことが分る。「栞」は片山由美子氏が執筆。
句の特徴として、「澤俳句」が前面に出ている。小沢實氏や現在の編集長である榮猿丸氏の俳句と狙っているところは非常に近い。
「即物」的な見方、現代を切り取る視線、若干崩したリズムに情感を潜める、只事と紙一重の詩的精神、と言う「澤」の俳句の特徴が十二分に楽しめるが、更にそれに加え、押野氏の場合は静かに肝の据わった俳句がアレンジされていると思う。
また若干紋切り型の感はあるが、歴史的背景を持った題材について、積極的に詠まれており、楽しませてくれる。
学校の先生をされているのか、野球の光景を読んだ俳句が散見されたが、その多くが説明的になっていて詩的でないのは残念である。このようにこの集中にはばらつきが大きいと感じるところがある。ただし、これも常に新しい視点で俳句の幅を広げようとした活動の結果であり、今後の活躍が楽しみである。
・九天より大き蜜柑の落ちにけり 裕
季題は「蜜柑」。九天は高い空と言う意味で使っている。
九天という言葉を巧みに用いて「高いところから蜜柑が降ってきた。存外大きかった」、と言う只事を俳句と言う詩に昇華させた。
たびたび集中に出てくる、歴史的時代にまで句の景が広がってくる感じを持たせることに成功している。
・負鶏を蛇口の水に洗ひをり 裕
季題は「鶏合せ」。負けた鶏は二度と鶏合せには出せない。
飼い主は鶏をねぎらっているのか、今後のことを考えているのか、何れにせよ闘鶏場の水道で勝負に敗れた鶏を洗っている。
淡々と見た光景を読んでいるのだが、その句を読んだ者は無数の想像が展開される。「冷静な写生の眼」が生んだ一句。
●「走者打者」2000年
山茶花や運河を前に酒の蔵
●「九天」2001年
漱石忌教鞭なる語古りにけり
的の前如雨露の水を撒きにけり
●「戦後」2002年
機関庫に十の機関車秋高し
左義長の煙川面を渡りけり
石段に折れ炎天のわが影は
内野土埃外野はあかとんぼ
●「燦々」2003年
少年の足は処女地へ潮干狩
闘牛の引き分けてなほ収まらず
一戸建持てば肩凝り蝸牛
源流はまだ雪渓の内にあり
上下を違へし魚拓蚯蚓鳴く
●「小出刃」平成21年
春怒濤波止の鯨の絵をあらふ
弔電のほどかれぬまま鳥雲に
寄港地の湯に古なじみ鰹船
かはらけの欠片の躍る噴井かな
鍋底のことは語らず芋煮会
●「あら汁」平成22年
表具師の糊のさらさら木の芽風
太刀魚の以下あら汁となりにけり
(杉原 祐之記)
ふらんす堂オンラインショップ
http://furansudo.ocnk.net/product/1738
ふらんす堂「みづいろの空」関悦史の評論