青山茂根句集『BABYLON』ふらんす堂
青山茂根さんの第一句集。青山さんは1966年茨城県生。「銀化」「豈」で活躍。『超新撰21』にも参加。その他評論として『鑑賞 女性俳句の世界』第6巻 を執筆。
序文は中原道夫氏、栞を櫂未知子氏というのは、2週前に紹介した山口優夢さんの句集『残像』と同じである。
句の特徴としては、山口さんが中原道夫の世界に似ているのに対し、青山さんは櫂未知子さんの世界に近い印象を受ける。 句としては強い使役、命令口調の句も多く、自分を叱咤激励しているかのようである。
また「望郷」「放浪」がこの一集のテーマとなっており、世界各地を訪ねた句が掲載されつつ、どこにも自分の居場所が無いような不思議な構成となっている。季題の持つ幅を最大限に活かして、「放浪する自分」を詠もうとしているのであろう。
安易な言葉の選択に走らず抽象的な意味が広がる言葉を選んでいるので、句として意味を取りずらい句も多い。
また言葉が先に走ってしまったり、異国の風景に季題を付け合せただけの句も散見された。これらの点は、これから彼女がキャリアを積むにつれ、解消されていくべき点であろう。
装丁も個性的で、二句一組上下にずらす形の句の配列も、次から次へ旅をしている感じに捉えられて楽しい一集。
●最果ての地にも蒲団の干されけり 茂根
季題は「蒲団」。今年の俳人協会賞を受賞された斉藤夏風さんの『辻俳諧』に
「蒲団干すそこに兎を追ひし山 夏風」
という句があるが、これも「蒲団」という生活に密着した季題からそれを干す人々の生活の様子を想起させる。
「最果ての地」というのは、私の場合日本であれば稚内、チリ、アルゼンチンのパタゴニアの大地を創造してしまった。
その「最果ての地」に、いかにも日本的生活が背景にあり季題となっている「蒲団」が干されている。日本を当面のルーツとしつつ、望郷の旅を追い求める茂根の詩の原点とでもいうべき光景だと感じた。
●野の花を集めしほどの水着かな 茂根
季題は「水着」。自分が着ているビキニであろうか。体を隠すスペースが小さい。
その水着の部分が野の花程度の容量であったということ。
羞恥心とエロスを実に上品な表現で仕立て上げた。
何より「野の花を集めて」「水着になる」という発想に驚かされる一句。
私が詠むと若干下びた表現になるところだが、この句の場合はそういう厭らしさが一切なく詩として成功している。
以下幾つかの句を紹介したい。
「砂塵(Kyzyl kum)」
ひよめきの閉ぢて梟帰れざる
いはれなくてもあれはおほかみの匂ひ
らうめんの淵にも龍の潜みけり
着陸のための枯野を探しをり
箱庭にもがきし跡のありにけり
なきながらに磯巾着をまとはせむ
らふそくを揺らし枯野へ晩餐に
草いきれごと山羊乳を飲み干しぬ
口笛や影となるまで日焼して
落城のごとく毛虫を焼きにけり
ががんぼに嘆きの壁を与へけり
沈みゆく街とも知らず踊りけり
ミルク臭き春の夕焼と思ひけり
「壁龕(mihrab)」
風紋のみづみづしきを雁供養
睡蓮に幽閉の空ありにけり
橇運ぶとてももいろのたばごころ
ふきこばしては人日の厨なる
賭事の卓の小さき白夜かな
移民には移民の端居ありにけり(シンガポール)
また恋文を夏潮のうらがへす
さういへば武器を持たざる焚火かな
雛壇や殿上もまたさびしからん
たゆたひて夕日の色の甘茶かな
コカコーラ色の腕(かひな)や田植人(インドネシア・バリ島)
「尖塔(minaret)」
ジプシーの眼をして苗木市の隅
パリー祭らし屋根裏に病む耳に
傷あとを誰も問はざる帰省かな
滑走路途切れて虫の闇はじまる
迷ひ子のやうに初景色の中に
鶯や彼方に重機光りあふ
男臭くて闇汁の後の部屋
バビロンへ行かう風(ヒヤ)信子(シンス)咲いたなら
