【山口優夢句集『残像』】 角川書店、平成二十三年七月
平成22年第56回「角川俳句賞」受賞作家による第一句集。百八十四句を収録。
アンソロジー「新撰21」(邑書林)に参加、同参加者の作品を評した評論集『叙情無き世代』も大変興味深い作品。
所謂「俳句甲子園世代」の代表的作家の一人、第6回俳句甲子園個人最優秀賞を受賞。
その後東大に進み地質学を専攻し大学院に進学しつつ、句作を続けている。
昨年新聞社に就職し、現在は甲府に駐在している模様。「銀化」に所属。
本人も後書に記しているように、全く好景気を知らない吾らの世代の「平成のとの曇」を象徴するかのように低血圧気味の俳句が目立つ。
真面目で良い生活をしっかりと堅実に行っているであろう人柄が、奇を衒うことのない句柄に表れている。
句の表記としては、平仮名を用いて柔らかま叙情を出そうとしている意図があると思う。
これから、彼の俳句の「叙情」「叙事」がどのように進んでいくのか、楽しみである。
雨降るもあがるも知らず薬喰 優夢
季題は「薬喰」。外の様子を伺えない鉄筋コンクリートの宿か店で鍋を囲んでいるのだろう。
鍋を突きつつ、それぞれの話題に興じていた。「薬喰」を終え、外に出てみると雨が降りあがった形跡があった。
「薬喰」と言う生臭い行為と、その間に外で起こった事象との断絶を感じたのであろう。
電話みな番号を持ち星祭 優夢
季題は「星祭」。七夕の夜に牽牛、織女の二星を祀る行事。取合せの俳句。
彦星、織姫及びそれを取り巻く無数の星。それを見ていると、今の我々はほぼ一家に一台の電話と一人一台の携帯電話を持つようになっている。それぞれに番号てふ、無機質なものがもれなくついて管理されている。
「携帯」ではなく「電話」。「電話」と呼び方も既にレトロなイメージを負う様になっている、平成二十年代の俳句であろう。ちょっとアンニュイな感じが面白い一句。
以下、印をつけた句を紹介したい。
●第一部 どこも夜
あぢさゐはすべて残像ではないか
襖越しの着信音やいつまでも
大広間へと手花火を取りに行く
盆の月この世はどこも水流れ
花ふぶき椅子をかかへて立ち尽くす
臍といふ育たぬものや暮の春
風鈴のいつぱい鳴つて誰も来ず
幾百の留守宅照らす花火かな
眼球のごとく濡れたる花氷
鍵束のごとく冷えたるすすきかな
●第二部 どれも明るく
心臓はひかりも知らず雪解川
小鳥来る三億年の地層かな
日本語に英語で返す焚火かな
ぶらんこをくしやくしやにして遊ぶなり
糸瓜棚本しばる紐手に痛し
酒飲んで伝票増やす霜夜かな
卒業や二人で運ぶ洗濯機
親戚を町の名で呼ぶ茸飯
鮎小さければ吐きたる血もすこし
問診は祭のことに及びけり
野遊びのつづきのやうに結婚す
〆
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=201104000137