月別アーカイブ: 2012年11月

心太会に伺いました。英

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慶応中等部OB、OGの俳句会、心太会に伺いました。今日の吟行地は道灌山。西日暮里に集合して、富士見坂、諏訪神社を巡りました。天気は予報通りの雨。それでも全員果敢に吟行、お昼は不思議なスイス風レストランで楽しくいただきました。句会場は例によって神田の矢板ビル。矢板さん、いつもお世話になります。英

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第46回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)

蕾とて苞とて無骨八手かな

 この句のいいところか、わるいところか、わからない。下五の「八手かな」の置き方がまことに不思議なリズムなんで、よいところと言えばそこかもしれないし、瑕と言えば、瑕かもしれない。どのみち、八手は蕾みの時は仏様の螺髪のような粒粒になってたのが、一つずつ離れてくると、花が咲く時になると、稲の花のような細い雄蘂が出てくるんですが、それが終わってしまうと、八手の実になる。こんど、竹の筒に入れて、鉄砲の玉になるんですね。ま、無骨だということは、たしかだと思います。

神前に小言いわれし七五三

 七五三のお参りに来たんだけれど、何か駄々を捏ねるもんだから、神前だけれど、小言を言われて、はんべそをかいてしまっている。元の句「神前の小言」。というと、神前の小言というのが、あるように聞こえてしまうので、「神前に」とした方が素直でいいでしょう。

将軍像視線の先に冬紅葉

 どんな将軍だかわかりません。坂上田村麻呂だって将軍だし、源頼朝だって将軍だし、あるいは家康だって将軍だし、フランスのフォッシュ将軍だっていいんですが、ともかく、武を張って立っているという人間の像が、今冬紅葉を見ている。というと、盛んな赫々たる戦功の時と、戦が終わって、段々ものごとが落ち着いていく静かさ。その将軍の像の目が冬紅葉を見ているなんていうことを考えると、冬紅葉の気分がよく出てますね。これが紅葉の盛んな時の感じでは面白くない。

梁太き部屋にねまりぬ蛇笏の忌

 此の頃、蛇笏が死んだんですかね。(忌日、十月三日)山梨県の境川村という村があって、そこの大百姓の息子で、東京の早稲田へ出てきて、早くに境川に戻って、一生アマチュアの大物みたいな俳人だったんですが、「梁太き」というので、甲州の大百姓の蛇笏の印象があると思いました。

秋天や眼下に博多志賀の島

 不思議な句ですね。秋天やというと、普通、下から見上げて秋天なんだけれど、この句は自分が秋天にいる。自分が秋天に舞い上がって見ると、「博多だわ。砂嘴がずーっと伸びているのが、志賀の島。」見た瞬間に志賀の島だとわかる。それをちゃんと詠んでいるところが、ちゃんとした手だなという気がしました。この句の面白いのは、下から見上げた秋天ではなくて、自分が秋天にいるという、芭蕉さんが聞いたら、びっくりするような句だなと思いますね。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第45回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)

花八手故宮の奥へ続く道

一目、北京の句だろうということですが、なるほど、石をずーっと敷き固めたような所での、あちこちに前栽のような植え込みがある。その一つに花八手があった。「故宮の奥へ続く道」ということで、故宮の規模の大きさと、建物の感じが奥へ奥へあるという感じが、なるほど冬を迎えた北京の感じかなと思いました。

山頂の散り尽しをり紅葉山

 よくものを見てますですね。東山魁夷の絵のその後みたいな感じで、全体が紅葉山になっていたのが、いつか上の方が枯れてしまって、そこだけ茶色っぽくなってしまっている。そこが一つ俳諧なんでしょうね。山頂までびっしり紅葉だったというだけでは、ありそう過ぎて、らし過ぎて、採らないけれど、それが頃を過ぎて、山頂は枯れているというのは、俳句らしい写生の目があるなと思いました。

長城にせまる野山の錦かな

 もともとは長城は木立のないような所だったかもしれませんが、八逹嶺辺りへ行くと,今や豊かな森になっています。そこが野山の錦があるというんだけれど、「せまる」というところで、長城の持っている歴史、外から夷狄が迫ってくる、そんなことばの印象があるかなと思いますね。これをあんまりやってしまうと、俳句が臭くなってしまうので、まあここまでかなと思いますね。

連れだってちょっと近所の酉の市

 これ、面白いですね。勿論、鷲(おおとり)神社。もともとは三島大社が酉の市の一番の根源なんですが、それから江戸のもっと北の方の、足立区の先の方にあったんですが、その酉の市が博打で有名で、お取り潰しになったんで、今の場所が健全な酉の市となった。(と言っても、その日は吉原がたいそう賑わった。)

檻の内半眠の鷲動かざる

 寝ているんだか起きているんだかよくわからない。よく見れば、目が覚めているんだなというような、そんな鷲の感じがあって、いかにも檻の鷲の句として上出来です。