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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第45回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)

花八手故宮の奥へ続く道

一目、北京の句だろうということですが、なるほど、石をずーっと敷き固めたような所での、あちこちに前栽のような植え込みがある。その一つに花八手があった。「故宮の奥へ続く道」ということで、故宮の規模の大きさと、建物の感じが奥へ奥へあるという感じが、なるほど冬を迎えた北京の感じかなと思いました。

山頂の散り尽しをり紅葉山

 よくものを見てますですね。東山魁夷の絵のその後みたいな感じで、全体が紅葉山になっていたのが、いつか上の方が枯れてしまって、そこだけ茶色っぽくなってしまっている。そこが一つ俳諧なんでしょうね。山頂までびっしり紅葉だったというだけでは、ありそう過ぎて、らし過ぎて、採らないけれど、それが頃を過ぎて、山頂は枯れているというのは、俳句らしい写生の目があるなと思いました。

長城にせまる野山の錦かな

 もともとは長城は木立のないような所だったかもしれませんが、八逹嶺辺りへ行くと,今や豊かな森になっています。そこが野山の錦があるというんだけれど、「せまる」というところで、長城の持っている歴史、外から夷狄が迫ってくる、そんなことばの印象があるかなと思いますね。これをあんまりやってしまうと、俳句が臭くなってしまうので、まあここまでかなと思いますね。

連れだってちょっと近所の酉の市

 これ、面白いですね。勿論、鷲(おおとり)神社。もともとは三島大社が酉の市の一番の根源なんですが、それから江戸のもっと北の方の、足立区の先の方にあったんですが、その酉の市が博打で有名で、お取り潰しになったんで、今の場所が健全な酉の市となった。(と言っても、その日は吉原がたいそう賑わった。)

檻の内半眠の鷲動かざる

 寝ているんだか起きているんだかよくわからない。よく見れば、目が覚めているんだなというような、そんな鷲の感じがあって、いかにも檻の鷲の句として上出来です。