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祐之 について

「夏潮」運営委員の杉原です。 平成二十二年四月に第一句集『先つぽへ』を出版

【お報せ】稽古会特別企画~題詠でGO!_(杉原)

【お報せ】稽古会特別企画~題詠でGO!

いよいよ3月29日(木)~4月2日(月)にかけて、福岡・能古島で今年の稽古会が開かれます。

菜の花に桜が豊かな光景を見せてくれるでしょう。しかしながら、多くの勤め人にとって年度末のこの時期に参加するのは難しく、断念された方も多いのではないでしょうか(斯く云う、私もその一人です)。

そこで、稽古会の時期に当HPを活用して句会を開きたいと思います。

稽古会名物「夜の題詠」に一緒に参加しましょう。と言っても、リアルタイムの参加は難しいので、下記の様な方法でネット句会を行います。

1)各日19時にお題を「汐まねき」にUP!

2)投句〆切りは翌日6時。各5句まで。
3)清記を「汐まねき」UP後、選句は翌日の6時まで。5句選、特選◎に簡単な講評
4)4日分の句稿をまとめて逗子へ送付。後選を頂く。

例えば、3月29日の題は:

3月29日19時にお題UP
3月30日6時投句〆切
清記UP 3月31日6時選句〆切
選句結果UP

となります。逗子の後選は後日まとめて「汐まねき」へUPします。

 

※投句は、以下のフォームからお願いします。

    お名前(俳号) (必須)

    メールアドレス (必須)

    お題

    (いずれも五句。必ずいずれかを選択)

    メールにてご参加の場合、homepage*natsushio.com (*を@に変更下さい。スパム対策です)へ送付下さい。 その際、以下の要領で件名と本文に俳号と日付、投句・選句の区分を忘れずにお願いします。

    投句送付の際には件名に日付と投句と俳号を記載(例:【3月29日投句・祐之】)
    選句送付の際には件名に該当の句稿の日付と投句と俳号を記載(例:【3月29日選句・祐之】)

    ※今回は初回と言うことで試行的な実施です。不手際についてはご容赦下さい。是非、一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。

     ※1日ごとの参加で結構です。出来るだけ多くの方のご参加をお待ちしております(例え投句が御一人でも行います)。

     

    第零句集が紹介されています。

    第零句集第5号の櫻井茂之さんの『風ノ燕』、第6号石本美穂さんの『ラウンドアバウト』、第7号の前北麻里子さんの『誕生日』について、

    涼野海音さん((「火星」「晨」)のブログで取上げられております。

    是非、一度ご覧下さい。

    http://blogs.yahoo.co.jp/suzuumine

    前北麻里子第零句集『誕生日』鑑賞_渡辺深雪

    前北麻里子『誕生日』鑑賞 渡辺深雪

     

     夫かおる氏の浜松赴任以来、前北麻里子さんとは家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。八千代句会でも公私共にお世話になっているが、麻里子さんの作る句には常に女性らしい細やかな感性と、気取りのないのびやかさが見られ、筆者にとっても勉強になる所が多い。

     

     麻里子さんの句に一貫して見られるのは、季題の持つ気分のようなものを素直に伝えていることである。

     

     夏服に名前を白く刺繍して 麻里子

     冬の雨三百世帯静まりぬ

     

     夏服の白い刺繍からは夏の明るさと清涼感が伝わって来るし、町中がしんと静まる情景からは冬の雨の持つもの淋しさをそのまま感じることができる。

     が、素直でありながら、「刺繍」という視点や「三百世帯」という表現には他の俳人とは異なる独自の感覚が見られる。その感覚は、対象となるものの特性を眼前にはっきりと表す、巧みな描写の形を取って表れる。

     

     飛び魚や海に光の糸引いて      麻里子

     向日葵のシャワーヘッドのごとく垂る

     

     「光の糸」という言葉からは、単に飛び魚が元気よく跳躍する様だけでなく、光り輝く夏の海の情景が見事に伝わって来る。「シャワーヘッド」という描写を見ても、確かにひまわりの花はそのような形をしているし、実のいっぱい詰まった重量感のようなものが見てとれる。

     それにしても、どうしてこのように言葉を巧みに用いて対象を描写することができるのか。基になっているのは、以下の句に見られる発想の豊かさではないだろうか。

     

     白薔薇を絵の具で赤く塗る話 麻里子

     入道雲蛸のお話作りけり

     

     前者は有名な『不思議の国のアリス』に出て来る場面である。小さなお子さんと一緒に白いバラを見て、作者はふとこれを思い出したのだろう。雲を蛸の形にたとえる後者の句と言い、季題をただ写生の材料に用いるだけでなく、そこから寓話の世界へ読者をいざなう所に面白味がある。

     しかし、ただ発想が豊かであるだけでは優れた句は作れない。あるがままにものを見、生活者の視点に立って句を作る誠実さが必要になるのだ。その誠実さは、一児の母親の立場から作った以下の句に十分見ることができる。

     

     らふそくも苺も一つ誕生日     麻里子

     母が読みひとり子の取る歌留多かな

     

     お子さんの成長と共に麻里子さんの句もどのように進化して行くのか、これからも八千代の句友の一人として暖かく見守って行きたい。

     

    色の名を教へ巡るや薔薇の園 麻里子

     小さな子供を連れて、近所のバラ園へピクニックに出かけた。そこには赤、白、黄色と色とりどりのバラが咲きほこっている。が、幼い子供は何も判らず、ただぼんやりと目の前の花を見ている。作者は花を指さして、夫と一緒に「これは赤だよ」、「これは白だよ」と、一つ一つ色の名前を教えてあげた。きれいなバラの花を眺めながら、子供にものを教えていることを楽しんでいるようだ。そう考えると何気なく咲いているバラも、我が子の成長を見守っているように思われて来る。

     

    仕舞ひには団扇で冷ます夜泣きの子 麻里子

     季題は『団扇』。赤ちゃんに夜泣きはつきもの。ことに熱帯夜となれば、これが一段とはなはだしくなろう。夜中に目を覚まし、激しく泣きわめく赤ちゃんの顔は、暑さのせいもあって真っ赤に紅潮している。どれだけあやしても泣きやまず、仕方なくその顔を団扇で仰いで冷ましてやることにした。「仕舞ひ」というなげやりな言葉から、暑さと夜泣きに翻弄される親の苦労が見てとれる。

     

    蟬死せりからりと腹を上にして 麻里子

     「からりと」という秀逸な表現が、この句の中で大きなウェイトを占める。夏も終わりになると、それまで元気よく鳴いていた蟬の死骸があちこちに転がっているのを見かけるようになる。仰向けになって息絶えたこの蟬もその一つだ。それにしても、「からり」という表現は、何とも間が抜けて冷たく突き放したものの言い方ではないか。だが、この広い世界にあっては、ひとつの存在が消えるとはその程度のものかも知れない。死を前にして感傷的になるのは、唯一人間だけだろう。

     

    爽やかにラクロス刈りたての芝生 麻里子

     きれいに晴れ渡った、秋の日の情景。近所の運動公園であろうか、夏の間に伸びきった芝生も短く刈り取られ、その上で少女たちがラクロスをしている。芝生のすっきりした感じと、白いユニフォームの少女たちが躍動する様を見ると、何とも明るく若々しい印象を受ける。この印象を、作者は「爽やか」という季語で表した。刈りたての芝生の上でスポーツに興じる少女たちとこれを見る作者、双方の心躍る様を感じることができる。

     

    青空に向かふ坂道蜜柑畠 麻里子

     昨年の秋、筆者は地元浜松に作者とそのご家族をお招きする機会に恵まれた。上の句は、この時に作られたものである。蜜柑は傾斜の急な所で栽培することが多く、これを上ろうとするとちょうど空を見上げる格好になる。この日は、蜜柑畠を上っていった先に、よく晴れ渡った青い空が広がっていた。みんなで上った坂道が、作者の眼にはこの青い空へ続いているように見えたはずだ。どこまでも明るく澄み切った秋の情景が、蜜柑の鮮やかな色と共に思い出される。

     

    白鳥の群れ湧き出づる空の奥 麻里子

     季題は『白鳥』。この鳥は、寒い季節になると北から日本へ飛んで来る。冬の訪れを告げる鳥と言っても良いだろう。どんよりとした空を渡るその姿は、もの悲しくも穏やかな冬の景色にふさわしい。おそらく吟行か何かで、作者もこの空を見上げていたのだろう。すると突然、遠くに白鳥が群れをなして飛ぶのが見えた。何羽もの鳥が視線の先に現れるその光景は、文字通り「湧き出づる」という表現がふさわしいものであったはずだ。冬空の雄大さと、白鳥の優美さをこの句は見事に描いている。

     

    年飾り小さきものがよく売れて 麻里子

     年末のデパートあるいはスーパーの情景。新年に必要なものを揃えるために買い物に来ると、正月の飾りが売られていた。見ると値段の高い、大きなものばかりが売れ残っている。小さな飾りは飛ぶように売れて、ほんのわずかしか残っていない。やはり安く買うことができる、小さなものを選ぶのが人情というものだな、と作者は思った。もう少し景気が良ければ、大きい飾りを買う客も増えたであろうに。生活者の視点を通じて、去りゆく年の世相のようなものが見えて大変面白い。

     

    ヒーターの音のみ試験二分前 麻里子

     高校あるいは大学入試を受けた者ならば、試験前のあの静寂と緊張感はだれもが経験しているだろう。時計を見ると、試験開始までまだ二分残されていた。すると重苦しい沈黙の中、教室を温めるヒーターの音がふと耳に飛び込んで来た。普段は気にもとめないその機械音が、この日はやけに大きく聞こえる。この音と共に、教室を支配する不安と緊張感がいよいよ高まっていくようだ。まだ寒さの残る試験会場の、張りつめた空気がヒーターの音を通じて伝わって来る。

    古雛の眉優しかり雨の寺 麻里子

     訪れた寺の外では、しとしとと春雨が降っている。お堂を濡らす雨は、もう冬のように重苦しいものではない。中へ入ると、昔から寺に納められていたものか、古い雛人形が飾られてあった。穏やかな笑みを浮かべるその顔に、眉が小さく描かれている。淡い光に照らされたその眉が、可愛らしくも優しいものに見えた。雛祭のみやびやかな雰囲気と、春雨の降る静かな情景が人形の微笑を中心に浮かび上って来る。

     

    ベランダで吾子の散髪春の風 麻里子

     春の訪れと共に、子供の髪が伸びていることに作者は気付いた。窓の外を見ると、暖かな春の光が満ちている。これを見た作者は、久しぶりにベランダに出て子供の髪を刈りたくなった。子供を椅子に座らせ、後ろから髪を刈っていると、ちょうど一筋の風が吹いた。この風に乗って、ベランダに落ちた髪の毛があちこちに散らばって行く。厄介だと思いつつも、作者の眼には何とも心地よい光景に映った。散髪という営みを通じて、春の風のすがすがしさが牧歌的な春の情景と共に感じられる。

     

     以上、「できれば、自分もこのような句が作れるようになりたい」という視点から選ばせていただいた。これからも麻里子さんには、読む者を楽しませてくれるような句を生み出すよう、お子さんの成長と共に期待したい。

    「夏潮 第零句集シリーズ Vol.7」 前北麻里子『誕生日』

    「夏潮 第零句集シリーズ Vol.7」 前北麻里子『誕生日』~夫は出てこない?~

     

     「夏潮第零句集シリーズ」。第7号は前北麻里子さん。

    麻里子さんは、昭和五十四年生れ。慶應義塾大学文学部で現在のパートナーである前北かおる氏と出会い、俳句を始め、かおる氏と共に数多くの句会に参加。その後、平成十九年に夏潮会に入会し本井英に師事。現在、毎号の『夏潮』で「里山の掲示板」に素敵なイラストを書かれている。

    平成22年5月に男児が誕生している。句集タイトルの「誕生日」はお子さんのそれを指すのであろう。扉絵に愛くるしい坊ちゃんとの2ショットが載せられている。

    本句集は麻里子さんのゆったりとした人柄がそのまま表現された俳句が並んでおり、すっきり入ってくる句が多い。季題や定型が麻里子さんの生活のリズムになりつつあることを感じる。子育ての句だけでなく、かおる氏に連れて行かれた登山や吟行の句も散見される。子育てで家庭に居ることが多いと推察するが、そのような環境下でも無理なく生活に俳句が溶け込んでいる点に強く感心した。

    ところで、私が一番この句集で困ったことは、「旦那連中は子供の句のほかに妻のことを詠むが、奥様連中は旦那のことを(ほぼ)詠まない」という点である。この点、誠に遺憾であるとしか言いようが無い。一人の男子として、詩の対象となりうる美しい存在になれるよう精進をしていきたい。皆様のご協力をお願いしたい。

     と、そこまで書いていて下記の句があることに気がついた。集中第四句目の

    色の名を教へ巡るや薔薇の園 麻里子

     八千代の名物に京成バラ園がある。

     ここのバラ園は麻里子さんにとって、大事な吟行場所なのであろう。

      かおるさんの『ラフマニノフ』の最後から三句目に、

    薔薇の名を旅するが如巡るかな かおる

    という句がある。それに呼応するかの様に、麻里子さんは前から四句目に配置してきた。このように表には現れていない夫婦の交歓が垣間見え、なかなかに興味深い。

    怪獣をばらして運び文化の日 麻里子

     麻里子さんはこれからも、沢山の素敵な「吾子俳句」を見せてくれるであろう。その中で掲句は麻里子さんの先生時代(を振り返る)の一句として興味深い。

     季題は「文化の日」。「文化の日」は明治帝の誕生日で明治時代の「天長節」。そういった時代背景を基に現在では、文化祭などがこの時期に行われる。仄聞するところによると、かおる氏の勤務する中学校もこの日の前後に文化祭を行うそう。「怪獣」も昭和と平成では大きく性格が変っている。目がパッチリした、怖いと言うよりかわいい怪獣の人形かパネルかが、分割されて教室へ運ばれていく。その暢気な様はまさに「文化の日」。暢気な様が麻里子さんである。

     「無理をする」ことが無い方だと思うので、マイペースに素敵な俳句を我々に見せていただきたい。敢て申上げるならば句のリズムが「ワン・ペース」に成り勝ちなので、色色な型にもチャレンジしてもらいたい。

     

    『誕生日』抄 (杉原祐之選)

    らふそくも苺も一つ誕生日

    入道雲蛸のお話作りけり

    秋桜のぎゆつと詰まりし蕾かな

    名月やマロングラッセ頬張りて

    顔ほどの落ち葉でいないいないばあ

    抱き上げし子ごとマフラーぐるり巻き

    吾子の歯の雪のかけらに似たるかな

    新しき私の町に雪積もる

    残雪を赤きバケツに集めけり

    揚げ雲雀瞬きながら昇り詰め

     

    関係ブログ

    俳諧師前北かおる

     

    前北麻里子さんにインタビューしました。

    前北麻里子さん

    Q: 100句の内、ご自分にとって渾身の一句

    A:らふそくも苺もひとつ誕生日

     

    Q:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

    A:これからも、地道に投句を続けます。

     

    Q:100句まとめた感想を一句で。

    A:師と友と夫子と見たき桜かな

     

    『誕生日』を読んで(矢沢六平)

    『誕生日』を読んで     矢沢六平

     

     らふそくも苺も一つ誕生日

     

     僕が勝手に名付けたものに、「秒殺句」というのがある。

     全盛期のエメリヤ・エンコ・ヒョードルもかくやと思わせる破壊力を持っていて、清記用紙にズラリと並んだ俳句群の中から、有無を言わせぬ輝きをもって目に飛び込くる。僕はファイティングポーズをとる間もなく「瞬殺」されてタップしてしまう。そんな俳句のことだ。

     

     最近の経験では、渋谷の深夜句会で、「酔へば泣きデザートも食べ年忘」(岸本尚毅)、というのがあった。僕はこういう句に会うと、興奮してしまい、家の中をせかせか歩き回ったりする。

     

     麻里子さんのこの句に出会ったのは、夏潮の雑詠欄だったでしょうか。

     今回、句集を開いた途端に再びこの句が飛び込んできて、僕はまたまた大興奮。ひとしきり家中を歩き回りました。

     その興奮さめやらぬまま、これより読み進めてまいりますので、もしかしたらトンチンカンなことを言うかもしれませんが、どうぞご海容ください。

     

    姫女エン(草冠に宛)たつぷり生けて野点かな

     ヒメジオンと読めばよいですか? 野外のお茶なので、そこいらに生えている花を活け、それが清々しくも可憐なんですね。

     

    ベビーカー若葉のカフェに集ひけり

     平日のおだやかな昼下がり。僕ら男たちの知らない世界。

     

    緑陰や鳩爺と栗鼠婆のゐて

     何か典拠がありますか? はとジジとリスばばが出てくる童話とか…。緑の深さとよく合います。

     

     他にも、「子育て句」は、素敵な句が多い印象です。

       ベビーカーの横にしゃがみて蓮眺む

       朝顔の種折り紙に包みけり

       タキシードに運動靴や七五三

       抱き上げし子ごとマフラーぐるり巻き

       母が読みひとり子の取る歌留多かな

       ベランダで吾子の散髪春の風

     

     写生句でよいと思ったのはこれらです。

       飛び魚や海に光の糸引いて

       湯剥きして地肌露はのトマトかな

       向日葵のシャワーヘッドのごとく垂る

       鉄球のごとく石榴のぶら下がり

       マンションのドアの数だけ年飾り

       年飾り小さきものがよく売れて

       池も地も満遍なしに花浴ぶる

     

    冬の雨三百世帯静まりぬ

     この句にもノックアウトされました。三百世帯、としたところが大手柄であります。

     広々とした畑や雑木林の周辺に人家が点在する田園風景でもなく、家々が密集した下町でもなく、商店が立ち並ぶ町場でもない、三百世帯……。郊外の新開地が見えてきます。

     まだニュータウンを形成するほどではないが、それでもすでに三百世帯からの人々が住み、これからいよいよ新しい町が生まれつつある。そんな碁盤の目に整った区画に、静かに冬の雨が降っている。ささやかにして幸せな未来が予感させられる光景です。

     

     僕はこれを「新開地俳句」と名付けたいと思います。

     僕も東京の西郊で育ちましたので、こうした句を詠んでみたいと、強く思いました。同じ味わいの、次の句も素敵でした。

     新しき私の町に雪積もる

     

    夏休み第一日は海へゆく

     そうですね。まずいの一番に海に行きたいですね。湘南電車や内房線のツートンカラーが懐かしいです。

     

    我の腕母より長し秋袷

     僕は祖父の形見の秋袷に袖を通してみたことがあります。僕は男としては小さい方の部類に入りますが、それでも祖父の着物は袖が少し短かったです。

     

    冬瓜をとろんと煮たり赤き鍋

     イタリアあたりの高級調理機器なのか、ホームセンターで売っている量産品なのか。いずれにしろ、例の真鍮色の鍋でなく、赤い鍋で煮てあると、冬瓜の煮物も俄然旨そうに見え興味津々。スープなのかな。清潔な、白を基調とした現代的キッチンの様子も見えてきます。

     

    山小屋の奥に寒さの溜りをり

     客が少ないのか、みんな食堂に出てきていて奥がひっそりしているのか。北国や山国では、寒さは「溜まり」ます。標高の高い場所での寒さの実感。

     

    どら焼きを分け合ふ夫婦梅の花

     梅はまだ寒い頃に咲きます。だからこその梅の暖かさに、私達は心を惹かれるのですね。どら焼きを分け合うのは、きっと老夫婦なのでしょう。

     

    古雛の眉優しかり雨の寺

     雨降りの寺の、本堂の薄暗さが見えます。

     

     読み了えて、巻頭句で受けた衝撃と興奮が少しおさまってまいりました。

     そこで、ちょいと考えてみました。

     

    らふそくと苺とひとつ誕生日

     

     「と」にしてみてはどうだろう。

     簡素で淡い味わいの、別の句になるかもしれないと思ったのですが、やはりここは、「も」でなくてはなりませんでした。そうでないと、「あの日産んだこの児が、もう一歳になったのだ」という喜びが伝わらないからです。年に数度は出会えない「秒殺句」は、どの角度から眺めても、全くいじりようがありませんでした。

       らふそくも苺も一つ誕生日

     名句です。心からそう思います。