石段を上がればありし茅の輪かな 藤永貴之 初嵐へくそかづらの花こぼし 蟷螂の創一つなく死んでをり 日の当たる石にとまれり秋の蝶 亀鳴くや鵠(クグヒ)の沼の消えし町 津田祥子 小径を麓へたどり春深し 小沢藪柑子 一旦は空へ空へと花吹雪 前田なな 春の蚊の目の前に来てそこに消ゆ 高瀬竟二
雑詠(2017年8月号)
コメントを残す
石段を上がればありし茅の輪かな 藤永貴之 初嵐へくそかづらの花こぼし 蟷螂の創一つなく死んでをり 日の当たる石にとまれり秋の蝶 亀鳴くや鵠(クグヒ)の沼の消えし町 津田祥子 小径を麓へたどり春深し 小沢藪柑子 一旦は空へ空へと花吹雪 前田なな 春の蚊の目の前に来てそこに消ゆ 高瀬竟二
池塘のやうや 本井英
母疾うに亡き母の日を姉弟 湾内の卯波を熨して豪華船 雲割つて高度下げれば卯波たつ 柿の花散らし流してけふの雨 賀茂祭楽(ガク)といふものなきままに
先駆けの乗尻六騎日焼けたる 鷺しらず葵祭の川なかに 新茶古茶新茶古茶なほ古茶の日も 古茶啜る音のながきを憎みけり 恭順の一身丸め根切虫
抛られて鯉口中へ根切虫 吾が断ちし根ツ切虫の天寿かな 葉はさらに風に応へて花楝 虫喰ひが池塘のやうや蕗広葉 干あがつてしまひさうなり莕菜咲き
佳きお庭にはクローバー品下り すでに順路せばめそめたり萩若葉 春蟬の空蟬なるはかく小さく 夏潮が引けば甘藻は横たはり 夏潮の引きて貽貝の露はにぞ
「団扇」 杉原祐之 選 客人の来る度増ゆる団扇かな 前北麻里子 工作の団扇魚型蛙型 お揃ひの団扇手に手に終電に 田島照子 長男の生まれし頃の団扇かな 櫻井茂之 べきことの付箋貼られて団扇かな 藤永貴之 水団扇瑠璃の器に漬けおける 本井英
「夏蝶」は、春の「蝶」とも、「秋蝶」とも「冬蝶(凍蝶)」ともどこか違う、生命力にあふれ、ときには猛々しい感じすらある。
作者はその「夏蝶」(おそらくはアオスジアゲハであろう)を凝視したのであろう。頭・胸・胴・触角・脚・翅と目を凝らして見つめていると、ふっと黒い羽根の中を彎曲しながら流れている「青い」筋が見えてきた。その筋を見つめるとその筋は、「七・三」のあたりで大きく曲がっている。さらに見つめているうちに、「何かに似ているなあ」と思えて来た。その次の瞬間「ブーメラン」という言葉が、胸奥の「言葉の箱」の蓋を開けて、沸きあがってきたのである。
「花鳥諷詠」とは造化の神が一瞬見せてくれる、この世のさまざまの季題の「本当の姿」を五・七・五の調べに乗せて詠いあげること。その境地に至る方法はただ一つ、自分の「主観」をどこまでも抑えて、出来る限り「客観的になって(完全に客観的になることは出来ない)」対象を凝視することである。
「ブーメラン」という言葉は、その形状からのみ「識域上」に沸きあがったのではない。そこには「ブーメラン」が野山の空気を切って翔る姿も重ね合わされているのである。そのことによって「夏蝶」の自信に満ちた飛翔の姿までが表現されてくる。 (本井 英)
夏蝶の翼に青きブーメラン 前北かおる 青桐の幹颯爽とみどりなる 山の水張り直したるプールかな 吹き縒れて御神酒の糸や海開 駅までのシャッター通り苗木売る 小沢藪柑子 風邪の子の手を差し出して来りけり 杉原祐之 堅香子に反れよ反れよと日も風も 青木百舌鳥 食卓の父の不在や扇風機 櫻井茂之