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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第56回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

白菜を積み上げてある美容院

元の句、「漬物用白菜積みて美容院」。これは説明ですね。勿論、銀座、青山の美容院の脇に、白菜を積んであるわけはないんで、どこか田舎の「美容室 XX子」といった美容室なんだけれど、ちょうど季節なので、白菜が十個とか二十個とか積んであるんでしょう。きっと仕事の合間を見つけて、白菜漬けをやろうとするんだけれど、それを「ああ、漬け物をやるんだなあ。」と気づいたのはいいんだけれど、「私は気づきましたよ。」というので、漬物用というのは駄目です。やっぱり、俳句というのは、白菜を積み上げてある理由を言うより、「何で白菜を積み上げてあるんだろう。ああ、田舎の美容院なら、こんなこと、あるなあ。」というふうに、読者に委ねなければいけない。読者の楽しみを奪ってしまっている。

神木の竹垣替へて師走かな

こっちは、いい句ですね。いかにも、神木の周りを人の腰の高さ位まで、竹垣で守っているというのは、よくあることですね。それを新年を迎えるので、宮司が「よし。ご神木をきれいにしよう。」というふうにした。というので、宮司のいかにも神様、神木への尊崇の念がよく見えて、よろしかったと思います。

富士にかかる雲に名前や枯茨

僕は、こういう作り方はなかなか出来ないんだけれど、一つの作り方。いわゆる取り合わせ、二物の衝撃と言われます。枯茨と富士山の雲と、直接関係はないんだけれども、言われてみると、枯茨の寒々とした感じと、雪をかぶった富士に雲が出来たり、出来なかったり、その雲が傘雲だったり、独特の呼び方があるのかもしれません。この地方ではね。そんな土地人との会話も想像されるような気がしました。二物衝撃ではあるんだけれども、実景が背景に見えてくるかもしれません。

掃き寄せて落葉の小山三つほど

こういう誠実な句はいいですね。どこにも無駄がない。言い過ぎてない。そして言い足らないところもない。こういうのは、形のいい句だと思いますね。

大川の岸辺の小春日和かな

これも同じです。隅田川を「大川」と言ったところに、江戸の大川を慕う気持ちが出ているし、江戸時代と変わらず流れている隅田川に対する気持ちが出ているなと思いましたね。芭蕉さんも、こんな小春日和で、日向ぼっこをしたかもしれない。       

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第54回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

枝はなれて落葉が土に触れる音

こういう句は、俳句の一つのやり方ですね。実際に音がかさっとしたかどうかは別で、主観の中では、枝を離れてその葉っぱが地に落ちた時に、かさっと音が聞こえたような気がした。もっと大袈裟な人は、蝶ちょが落ちて大音響の結氷期という句がありますけれども、作り方は別です。この句,実際に音がするしないとは別に、心の中で「かさっ」と音が聞こえたような気がした。というのは、ひじょうに細やかなセンスの句で、いいと思いますね。昔、「葉っぱのフレディー」という絵本が流行ったことがありましたね。それを、ふと思いました。

白樺は薙をなだむる冬木立

これは実によく白樺をご存知の方の句だと思いました。雪崩みたいになって崩れた跡が薙。なぎ倒されて、地肌が出てしまっている、それが薙です。実はそういう所の木としては、白樺は成長が早いです。白樺はすかすかですね。軽くて、すぐ伸びてしまう。土砂崩れのあとで、最初に木立を形成するのは、なるほど白樺が向いているかもしれない。そう言われてみると、露わに削れた山肌をいつの間にか冬木立が覆ってをった。それは白樺であった。冬木立ですから、葉っぱが落ちて、白い幹が見えていたんでしょうね。何か自然の大きなサイクルに触れるような、いい句だと思いました。

岬なる弾薬庫跡枯茨

これは三浦半島なんかに、あちこちあるんですね。砲台があって、砲台の玉の弾薬庫があって、昔の三浦半島の地図って真っ白なんですね。要塞地帯なんで、地図になっていない。この句はまさにそういう要塞地帯の句です。

サイレンの遠く近くに夜の火事

これもさっき、ちらっと言いましたが、夜の火事というのは、遠くでもひじょうに近く感じるものです。ああ、近いなと思っていると、サイレンの音が遠くの方の音も、近くの方の音も、何台もそこに向かって、消防自動車が走っているという感じがあると思います。

一組の蒲団干さるる山家かな

寂しい句ですね。山家で、元は何人も住んでいたんでしょう。ふっとハイキングがてら、山里の村に入っていったら、山家が一軒あって、その日向の二階の窓に、掛け布団と敷き布団と枕かなにかが上に置いてあって、ちょうど一人分の布団が干してあった。あ、結構大きな家なんだけれど、一人住まいなんだな。いろいろ、亭主に先立たれたとか、子供たちが出ていってしまったとか、何人も住める大きな家なのに、今はたった一人の布団が干してある。というと、何かしみじみとした哀れがあって、あすこの家にもいろいろあるんだろう。と、何かポッポ屋みたいな感じがしますね。一人住まいのわびしさがよく出ていると思いました。