何事か叫ぶが如く樹氷群
樹氷というのは蔵王が一番日本では代表的かと思いますが、志賀高原の横手山でも、樹氷は「モンスター」とも言います。何とも言えない奇怪な形になって、それを見ると、「何事か叫ぶが如く」と、表現としてはある意味では生な表現、句としては若干生なものが残っている句ですが、その生さ加減がよろしいかなと思いました。
ゆるやかな鯉の動きに春近し
実はこれ、「寒鯉」という季題が別にあるわけですね。「春近し」といったら、当然寒中ですから、寒鯉と言ってしまったら、それで終わってしまうわけですが、それを敢えて寒鯉と言わずに、寒鯉なんだけれども、本当に春が近くなってきたので、ただ深い所にじっとしていた鯉にも、すこし動きが出たようだよ。寒鯉もとうとう春が近いんだなあ。と、そんな微妙な季節の流れを捉えた句というふうに、鑑賞しました。
堅香子の花の群れ咲く樵径
樵だけが通るような道を辿っていったら、堅香子の花が群れた所があった。「あー、こんな所に群れていたんだ。樵の通る道だから、樵は知っていたんだろうな。私は初めて知ったぞ。」と、ある程度、樵の暮し屁の思いに、ある程度入っているのが、この句、面白いと思いました。どなたかの句に、獣道というのがありましたが、獣が通る道ですから、ほとんど人間は通らない。大体、僕の認識では、獣道というのは低くって、せいぜい狸とか鼬(いたち)とかが、すらっと抜けるところで、獣道のようなということはあっても、獣道は人が通れないんじゃないかなという気がしました。
鎌倉の海荒れてをり実朝忌
これは、鎌倉の句として、まっとうな句です。面白いのは、実朝忌の頃になると、移動性の低気圧が通るようになる。いわゆる西高東低の固まった冬の天候ですと、鎌倉の海はまったく荒れない。鎌倉の海は、ようやく春になって、低気圧がどんどん通るようになると、荒れる日が多くなります。特に日本海に低気圧が入ると、鎌倉の海は大変荒れるんですけれど、そんな移動性の低気圧が現れ始めた頃だと思うと、この句、何気なく作っているようでいながら、実朝忌の季節感を表しているなと思って、感心した次第です。
薄氷をせきれい滑ってみたりもす
ちょっと冒険の句ですね。鶺鴒というのは、ご承知の通り、細い足で細かくちょちょちょちょと行くので、あの歩き方はなるほど滑りやすいですね。氷の上を歩いている鶺鴒を想像すれば、滑ることもしょっちゅうあると思いますね。それを「滑ってみたりもす」と、若干俳諧味を利かせて、わざと滑ってみたようにも見えたというところに、作者の心のゆとりがあるんだと思います。
春一番心ざわざわしてきたる
なかなか冒険的な句ですね。ひじょうに感覚的な句で、何か心配ごとが多かったり、家庭内でも問題があったり、ざわざわしている。それが、ほこりが戸の隙間から入るような日だった。二日さんと聞くと、主婦の、ある気分がありますね。