黒マフラー跨ぎ人過ぐ銀座かな
この句、面白い句ですね。「マフラー」が季題です。高田風人子という作者に、「マフラーや銀座新宿人違う」という句があります。まあ、それは昭和二十年代の銀座と新宿の違いでしょうね。今はそれほどの差があるかどうかわかりません。ただ、黒マフラーというものの持っている、あるシックな気分と銀座。そして皆跨いでいく。拾って、落としましたよとは、誰も言わないという、一つの銀座というものの様子が出ているなと思いました。
下足札持ちて座敷へ三の酉
一の酉、二の酉、三の酉で、今年は三の酉までございました。勿論、酉の市の帰りに流れるのは、いい人は浅草へ、わるい人は吉原へということになるんです。この人はよい人で、浅草へ流れたわけですね。米久だとか、どこかわかりませんが、そういう大きな、印半纏を着た下足番がいるような、そんな所に、「まあ、久々ね。」と、米久だと太鼓がどんどんと鳴って、上がっていく。というような、寒いところを来た。でも、店に入った、くつろいだ気持ちが出ていて、よろしかろうと思います。
冬木立遠き景色も招き入れ
この句は、採るか採らないか悩んだ末に採ったんですね。この句、とても奥深い句で、「招き入れ」というところに、実にうまい景への心の傾きが出ていると思います。ただ、ちょっとわかりにくいところもあるんですね。冬木立に透けてくるんだけれども、冬木立の隣った分に遠い景色を招き入れるともとれるし、自分の家の窓の景として、冬木立が透けたために、窓の景として招き入れることが出来たともとれる。そこのところが、若干、焦点が絞り切れていないところがあるんです。ただ、景を「招き入れ」るという表現には、ほとほと感心をしたわけです。
葉牡丹のひしめき合へる花壇かな
これもなかなかまっとうな句で、花壇がちょっと傾斜しているような気がして、面白いなと思いました。
短日やけふの仕事をまた延ばし
ただでさえ日が短いのにまたこの仕事を延ばしちゃった。ということで、よくわかる。師走とは言わないけれど、気分は師走であるということですね。